紅葉に彩られ滝しぶきを上げる涼感たっぷりの箕面大滝を眺めた後は、東海自然歩道をハイキング。西国三十三所23番札所の勝尾寺まで歩きます。阪急梅田駅から電車で30分。箕面といえばもみじ、もみじといえば箕面というほど紅葉の名所です。箕面大滝を中心に、お手軽な行楽地として今も昔も馴染みの深いところ。箕面川沿いの滝道2.7Kmを歩くこと約1時間で大滝に至る川沿いは、見事な紅葉のトンネルが続きます。一帯は「明治の森箕面国定公園」にも指定されていて、箕面大滝から勝尾寺まで森林浴を兼ねたぶらり旅は、都会からほど近い場所ゆえにちょっと得した一日が過ごせます。
阪急梅田駅から電車で30分。箕面駅を降りたのが7:25で駅からはまだ開いていない土産物店の店先をまばらな人の流れに沿って進みます。左手の高台にはTVでお馴染みの箕面温泉スパーガーデン箕面観光ホテルが見える。箕面駅からすぐの「一の橋」から箕面公園昆虫館の先、瀧安寺にかけての渓谷沿いの道は、明治19年(1886)に地元民によって造られました。適度な日照と湿度によりシダ類の宝庫です。滝道沿いには音羽山荘など昔ながらの老舗旅館が並び、その後背の紅葉の山がこの先の期待を高めてくれています。
阪急箕面駅から中の坂を歩くこと200mほどの「聖天宮西江寺」に立ち寄ります。滝道から少し脇道にそれた所にあるので隠れた紅葉スポットになります。斉明天皇4年(658)役行者によって仏教の修行地として開かれた聖歓喜天霊場の根本道場として有名なお寺です。日本最初の聖歓喜天出現の地でもあり、本尊に役行者作と伝わる大聖歓喜天を祀っています。
神社として聖天宮、寺院としては西江寺の神仏混淆の性格を備える高野山真言宗のお寺ですが鳥居も建てられています。紅葉が鳥居を取り囲むように参道を覆っていて、紅葉の時期に写真を撮るならここは外せない場所です。イロハモミジをはじめ、オオモミジや黄色に色付く一行寺楓、天狗の羽団扇に見立てられるコハノウチワカエデなど違った紅葉が愉しめますよ。
涼やかな音をたてて流れる箕面川に架かり、最初に渡る橋なので「一の橋」と呼ばれています。豊かな自然が残る箕面公園の玄関口でもあります。この一の橋から大滝までの2.4Kmの滝道を、手を繋いだまま放さずに辿り着けた二人は幸せになると言われていますのでトライしてみてください。途中でトイレに行かなければ大丈夫です。
一の橋のたもとに、レトロな3階建ての建物、cafe and bar Hashimototey (橋本亭)があります。かつては明治43年(1910)に建てられた旅館だったという建物の一部を利用した趣深いカフェに2004年にリニューアルされています。窓の外には箕面川の紅葉が広がり、せせらぎの音をBGMに8時半からモーニングがいただけるのですが、ランチには橋本亭オリジナルカレーやハンバーグ丼ロコモコなどしっかりした食事も取ることができます。歩き疲れたり、ハイキングの帰りにカフェでちょっと休憩するのにおすすめです。
一の橋を渡った少し先の滝道沿いに「和モダンなオーベルジュ」をコンセプトにした泊まれる料亭「音羽山荘」があります。大正15年(1926)建築の大正モダニズムと気品漂うアール・デコ様式を取り入れた邸宅をリノベーションしています。増築を重ねてきた建物は、緩やかな曲線を描く滝道に沿って建てられているので、箕面川沿いの紅葉を取り入れた絶好の被写体になります。手前の橋は「聖天橋」といい、ここを渡ると聖天宮西江寺~聖天展望台に至りますよ。音羽山荘の裏山に聳える紅葉を見ながら登る展望台では大阪平野が一望できます。
滝道沿いには、音羽山荘以外にも素的な建物が並んでいます。以前は茶店であった、藁葺屋根と網代天井の数寄屋造りが特徴の「梅屋敷」という大阪府営無料休憩所があります。またミシュランガイドで星を獲得した料亭「一汁二菜 うえの 箕面店」という和の名店も並んでいます。
明治の森箕面音羽山荘の趣きのある玄関前を通り過ぎ、目印となる紅葉橋の先ににある「瑞雲橋」の赤い欄干と紅葉のとても絵になる場所が見えてくると、そこが箕面山「瀧安寺鳳凰閣」です。宝くじの起源である約400年前の天正年間に始まった「箕面富」発祥のお寺で、本尊の弁財天(滝の神格)は日本最初にして最古であると伝えられ、江ノ島・竹生島・厳島とともに日本四弁財天の一つとして有名である。実際古色蒼然の拝殿は厳かで霊験あらたかな感じがしますよ。実際拝殿は厳かで霊験あらたかな感じがしたのです。
開基は白雉元年(650)に役行者が箕面寺を建立したのが始まりといわれ、修行者の山岳修行道場であり、空海や日蓮、蓮如などもここで修行したそうです。その後、後醍醐天皇の勅額を賜って瀧安寺と改称された。古くから紅葉の見事さでも名を馳せていて 秋の境内には野趣あふれる風景が広がっています。
瀧康寺からは谷を見下ろしながらよく整備された快適な滝道を行きます。「修行の古場」、二つの大きな岩が滝道を塞ぐようにしてそびえる「唐人戻岩」を過ぎ、名物「もみじの天ぷら」を販売している茶店や売店をのぞきながら上っていくといよいよ自然豊かな箕面公園の最奥部にある「箕面大滝」にご面会です。もみじの天ぷらは一行寺楓を一年以上塩漬けにし、塩抜きして小麦粉に砂糖や白ごまを加えた衣で揚げます。60g~70g入りで300円程度です。
大阪府唯一「日本の滝百選」に選ばれている「箕面大滝」は、幅5m落差は33mあり、紅葉に彩られた白銀の滝が目の前に現れた瞬間は感動です。岩壁から水が一気に流れ落ちる様子はとてもダイナミックでもあり、水面の少し上にある出っ張った岩に砕けて腰折る様は神秘的です。古くから名瀑と知られ、戦国時代には、織田信長が鷹狩の途中に立ち寄ったと伝えられています。
箕面大滝の水が木々の間から流れ落ちる姿が農具の「蓑のおもて」に似ていることから、水尾から転じて箕面の名で呼ばれるようになり、地名も これに由来していると言われています。滝に近寄ってみると、水しぶきが風に乗って頬をぬらし、滝の音を聞きながらマイナスイオンを体全体で満喫してみましょう。
箕面大滝から先は、九十九折の千本坂を登り、大日駐車場経由で勝ちダルマの寺として有名な「勝尾寺」を目指します。瀧を過ぎると人波はぐっと減り、トンネルを抜けて千本坂の急坂を上ると杉の茶屋で、しばらく県道43号の車道沿いに東海自然歩道を歩く3.5kmの行程です。特に秋の紅葉は絶景とのことで運気が変わる不思議な癒しの寺として多くの人が参詣し、バスは千里中央駅から阪急バスが出ています。県道箕面豊中線をてくてく歩くこと小1時間、慶長8年(1603)豊臣秀頼によって再建された朱塗りの山門に到着します。
應頂山「勝尾寺」は、高野山真言宗の寺院で西国三十三箇所の第二十三番札所。奈良時代初期神亀4年(727)双子の善仲・善算両上人が山中に草庵を構え、光仁帝皇子開成(桓武帝異母兄)が両上人を師として仏界を求め、天平神護元年(765)弥勒寺を開創、宝亀11年(780)妙観という観音化身の比丘と18人の仏師が身丈八尺の十一面千手観世音菩薩を彫刻、本尊となしたのです。かの『徒然草』で吉田兼好は「よき細工は、少しにぶき刀をつかうといふ。妙観が刀はいたくたたず―」と記している。
第六代座主行巡上人は、清和帝の玉体安穏を祈って効験を示した事により、王に勝った寺「勝王寺」の寺名を賜ったが、寺側は王の字を尾の字に控え、以来「勝尾寺」と号したのです。なお清和天皇の勅額は、国道171号線勝尾寺口南側の大鳥居に掲げられています。
入山料400円を払い山門をくぐると約8万坪の境内に紅葉が真っ盛りである。王に勝つ寺として清和帝が勝王寺と号した「勝尾寺」は源氏・足利氏等各時代の覇者達が当山に勝ち運を祈り、以来「勝運の寺」「勝ちダルマの寺」として勝運信仰の歴史をたどっている。
橋を渡るとそこは仏様のお庭=境内なので、お清めの霧を浴び、厄を落とし、身を清めてから境内に入ります。参道の両脇から枝を伸ばした真っ赤な紅葉のアーチが出迎えてくれます。標高400mで寒暖差も激しく赤く燃えるような紅葉になります。
本堂へ向かう階段を上りきると、目の前に「勝ちダルマ奉納棚」が現れる。鮮やかな赤いダルマがずらり並んだ棚はインパクト大です。願いが成就した参拝者たちのダルマが数多く納められていて、縁起のいい勝利のパワーが伝わってくるようである。
境内のあちこちに小さいダルマがおかれていた。これは、ダルマおみくじのダルマで、境内の好きな場所へ置いていく参拝者が多く、生垣や樹木の枝、お堂の周り、塀の上など、あちらこちらにダルマを並べて勝王寺ならではの風景を作っているのである。ダルマおみくじは手作りで描かれており、ダルマの表情は一つ一つ微妙に異なる。
赤穂藩主・浅野内匠頭長矩に仕え、刃傷事件の第一報を赤穂へもたらした箕面出身の藩士であった萱野三平(俳号・涓泉)が、俳句仲間でもあった赤穂義士・大高源吾と共に参拝したとされ、俳句『勝尾寺 樋間(ひさしま)寒し 茨の花』を同寺で詠んだとされている。
境内の奥には大日如来像を祀る多宝塔
そして最上部には、第四代座主証如上人によって建立されたお堂、法然上人第五番霊場「二階堂」があり、鎌倉期に法然上人も四年間止住し念仏三昧に入られ、この時善導大師の夢のお告げにより浄土宗本基の戒を授かったとされている。ここも紅葉が美しい。
とにかく広い寺域を誇ります。弁天池に突き出た社は弁天堂で弁財天を祀っています。さてバスで千里中央駅まで戻るとします。480円