栃木県佐野市水道水は、すべて石灰石の層で濾過されたミネラル豊富な地下水が由来、スープを美味しくし、肉を柔らかくします。佐野ラーメンには多加水麺が多く、水のおいしさが生きています。栃木県佐野市出流原から葛生にかけての北西部は鍋山層という石灰石と苦灰石(ドロマイト)から構成されている古生層です。鍾乳洞から湧き出た美しく透明な水の出流原弁天池や鍾乳洞を包むように建てられた磯山弁財天を訪れます。『モネの池』のような弁天池は必見です。写真は途中に寄った道の駅「どまんあなかたぬま」です。
北関東自動車道を出流原PAからスマートICで降りて約1km弱、出流原弁天池に到着です。まずは出流原弁天池を見守るように標高150mほどの石灰岩からなる小高い磯山の上に建てられた磯山弁財天に詣ります。天暦2年(948)下野国を治めていた武将・藤原秀郷の勧請により創建され、白蛇が神の使いの金運のパワースポットです。現在の建物は鎌倉時代に再建されたとのこと。
弁天様は蛇や龍の化身とされ、白蛇はその使いとされています。白蛇は最高の霊力があり、脱皮を繰り返す姿は再生のシンボルかつ生命の源、また出世や富をもたらす縁起の良い生き物として篤く信仰されています。境内のあちらこちらにとぐろを巻いた大小の白蛇像を見ることができます。
磯山公園駐車場奥にも白蛇弁天さまが。(4~5台と駐車台数が少なく、まちの駅駐車場に停めることをおすすめします)
威風堂々たる鮮やかな朱色の楼門は、橋を抱える山門(拝殿)です。
弁天象の横にある風穴洞は弁天池の水脈に通じていると言われ、冷風を感じます。その上の岩場には白蛇さまがとぐろを巻いていますよ。
手水舎では白蛇さまが水口になっています。
右手には今は湧水が途絶えた銭洗弁天が祀られ、奥の洞穴には阿吽の白蛇さまがおられる石があり、こちらが御神体とようです。
楼門から急な石段を130段ほど上がるとそこには大岩穴を包む懸崖造り三層楼舞台造の本殿(地元呼称ではさんがい)である真っ赤な弁天堂が鎮座しています。
崖造で建てられた本殿からは佐野市街を一望できます。最上階に頭上に白蛇を巻かれた宇賀神像が鎮座され、本殿中央に八臂弁天と十六童子を納まる厨子が安置され、あらゆる願い事が可能とされ、特に五穀豊穣、家内安全、商売繁盛の神様としてあらかたです。社殿の裏にまわると風穴があり、下にあった風穴洞と繋がっているようです。
特に本殿入口に祀られている白蛇様には、感謝と労りの気持ちを持って、希望の箇所を何回かさすってあげれば、益々幸運がもたれさせるとのことです。
出流原弁天池の隣に鎮座するのは「湧釜神社」で、祭神は水を司る「天水分(みくまり)神」「国水分神」で、みくまりが転じて御子守(みこもり)、身籠り(みごもり)と解され子供の守護、子授け・安産の神として信仰されています。創建は806年~810年頃とされ、明治に入り人丸神社と習合し大正2年(1913)旧地の後山から磯山の麓に遷座。
境内舎に人丸神社があり、かつて「人丸様」と呼ばれ、寛永18年(1641)大干ばつの際、石切の村民が雨乞いを祈ったところ、どこからともなく白い着物の老人(万葉集の歌聖・柿本人麻呂が神格化)が現れ、持っていた杖で岩を突くと水が吹き上がったといい、これが出流原弁天池の始まりとされています。出流原はかつて「湧釜原」とも呼ばれていたといい、それが現在の湧釜神社の由来となっています。
社殿の脇にある池がかつて磯池とも言われ、人丸神社の神池でした。また昔は弁天池の小島に弁財天が祀られていましたが、磯山に遷座されたようです。今では湧釜神社よりも弁財天のほうが有名になり弁天池と称されています。
日本名水百選に選定されている佐野市の「出流原弁天池」は、鏡のように生い茂る緑を映し、木々と静寂に包まれた神秘的な湧水の池。佐野市の北域にあたる後山は秩父古成層石灰岩で形成されており、弁天池に通ずる水源地彦間川の水が磯山の地下の石灰岩の亀裂を通し、その鍾乳洞から年間を通じて水温約16℃の清水が一日約2400㎥湧出し、出流川の源のひとつとなっています。この弁天池は、地下に洞窟が存在するとされています。
池の周囲は約138m、面積は約2300㎡の広さがあり、抜群の透明度を誇る池の神秘的な景観に癒されます。驚くほど透き通った池を悠然と泳ぐ鯉の影がくっきりと水底に映り、その姿はまるで鯉が宙を舞っているような幻想的な世界に驚きです。
弁天池には「朝日長者伝説」という伝承があります。昔、出流原に朝日という長者の夫婦がいて、裕福な暮らしの中で唯一子宝だけには恵まれず、弁天池に子授かりの願い事をすると女の子が生まれ、「鶴姫」と名付けられました。鶴姫が18歳の時に山に入ったまま行方知れずとなり、悲嘆に暮れていた夫婦に神が降りてきて「姫は弁天池の鯉となっていて、龍神に昇華するには莫大な財産がいる」と告げ去っていきました。そこで夫婦は娘のために財宝を池のほとり(後山)に埋めて、娘が龍神となって無事に昇天することを願ったという伝説です。「うるし千ばい 朱千ばい くわ千ばいに 黄金千ばい 朝日さす夕日輝く 雀三おどり半の 木の下にある」という宝のありかを詠んだ歌を残しています。
まちの駅 名水「弁天池」の駅として福寿荘売店が池の畔にあり、佐野市民のソウルフードのいもフライやオレンジ色の寒天に黒蜜をかけていただくカンロがいただけます。ホクホクの揚げたてのジャガイモに甘辛濃厚ソースをからめた串揚げいもフライは一本200円。テラスでのんびり池を鑑賞しながら佐野グルメをいただきます。
国道293号線を北上し、秋山川に架かる橋を渡って県道200号線を秋山川に沿って走り途中から仙波鍋山線に入ります。仙波町の葛生地区は古生代ペルム紀(約2億6千万年前)に属する日本有数の石灰石、そして日本最大のドロマイトの産地。ドロマイトとは石灰石に似ていますが、石灰石の主成分である炭酸カルシウムのうちカルシウムの一部がMgに置き換わっているのが特徴です。鉄を代表する金属精錬プロセスにおいて、石灰製品と同様に使用することにより、耐火物(内装レンガ)かた溶融金属へのMg分の溶出を防ぎ、耐火物の耐久寿命を延ばすことができます。ブラタモリ「佐野編」でタモリさんが鉱山に入山していたところがこの一角で鋳造にはかかせないドロマイトを産出しているのです。
旅の最後は佐野のグルメ“佐野らーめん”です。(ブラタモリでもタモリさんが食べていました。)青竹打ちという製麵法で作る、独特の食感のラーメン「佐野らーめん」。約200軒もの個性豊かなラーメン店が軒を連ねています。なかでも佐野ラーメン会に所属する「岡崎麺」は、創業昭和47年(1972)、風情ある黄色い外観が目印。店内は座敷席とテーブル席・カウンター席とで25席といつも満席の人気店です。
おすすめのらーめんは、昔ながらの青竹打ち麺で柔らかくふわっとしたやさしい食感。豚骨・丸鶏・魚介・煮干・鰹節・昆布・生姜・にんにく・玉ねぎ・人参・ネギからとったスープとの相性が抜群。そこに華を添える豚バラ肉のチャーシューがジューシーです。
石灰石が土壌佐野市。天明鋳物も佐野らーめんも出流原弁天池の湧水もすべてこの石灰石の鍋山層のおかげを実感しました。