都心からほんの1時間ほどの小江戸・栃木市。栃木市の町の起源は戦国時代に皆川氏が栃木城を築き、城下町を整備したのが始まりといわれています。江戸時代になり、徳川家康が日光東照宮に祀られると朝廷の勅使の例幣使が日光に参向する例幣使街道の宿場町であった栃木は、舟運を生かして商都に発展。今も市街を南北に巴波川が流れ、舟運で富を築いた豪商たちが江戸~明治期に建てた見世蔵や土蔵が軒を連ねていています。街中には「江戸」や「明治」の蔵がたくさん残り、「大正」の洋館が瀟洒に佇み、「昭和」が香る駄菓子屋や荒物店、漬物店が、当たり前のように路のそこかしこにあります。その街の一部が重要伝統的建造物群保存地区の選定を受けていて、「小京都」でもあり「小江戸」でもある双方の魅力を兼ね備えた蔵の街は、春のお気軽散歩にぴったりです。
群馬県高崎駅と栃木県小山駅にまたがるJR両毛線。その沿線にある栃木駅から5分ほど歩くと蔵の町を形成した立役者の巴波(うずま)川が見えてきます。栃木駅前から北へ延びるメインストリート蔵の街大通りの西側を並行する巴波川沿いには蔵の街遊歩道が整備されています。
令和3年(2021)5月公開の映画『いのちの停車場』のロケ地にもなったうずま公園付近で本流と合流するあたりから川面を覆い尽くすように色とりどりの鯉のぼりが泳いでいて圧倒されます。「うずまの鯉のぼり」は栃木の春の風物詩で、毎年5月中旬まで開催されています。
巴波川橋のたもとに「蔵の街遊覧船」のりばがあります。宿場町だった栃木では江戸と日光を結ぶ荷の集積地として舟運で商業が栄え、商家の屋敷や蔵が現在も200棟以上点々残っています。当時、この巴波川左岸(東岸)を栃木河岸と呼び、河岸の開設年代は諸説ありますが、おおむね江戸時代初期に始まったといわれ、安永3年(1774)には十軒の船積問屋があり、賑わいをみせました。その面影を体感できるのが蔵の街遊覧船です。
舟運で栄えた昔日に思いを馳せ、昔ながらの部賀舟風の舟に乗り込みます。巴波川を船頭が棹をさして漕ぐので風情があります。幸来橋で折り返して戻ってくる250mほどの区間を約20分(乗船料1000円)で往復する船旅を解説付きで楽しめます。頭上では鯉のぼりが風にひらひらとたなびき、川面にはカモや鯉が気持ち良さそうに泳いでいます。川の鯉に餌をあげたり、船頭歌の披露があったりとのんびりと優雅な気分が楽しめます。
河岸には川沿い120mにもわたって8つの蔵が軒を連ねる「塚田歴史博物館」が見えてきます。日光御用の荷物を運搬・陸揚げしたことから始まったとされる巴波川の舟運。当時川沿いには荷を扱った商家が立ち並んでいたといいます。現在は材木を江戸まで運んだ回漕問屋を営んだ豪商・塚田家の蔵や屋敷にその名残が感じられます。幸来橋というハッピーな名の橋からの眺めは、ことのほか情緒があります。
舟を降りて巴波川沿いに歩くと、綱手道という名前が示す通り、流れが急だった川を舟が遡る時、綱で引いた曳道が川の両側に延びているのも栃木ならではの眺めで、一部は遊歩道にもなっています。
両袖切妻造りという中心の見世蔵の左右に石造りの蔵を配した珍しい建築様式が目を引く建物・横山郷土館が現れます。横山家は、初代当主となる横山定助が、水戸藩士の子でありながら、今後の新しい時代における商人の活躍を予測し、栃木の特産品である野州麻に着目し、江戸末期に麻苧問屋を起業したのが始まりの明治時代の豪商です。店舗は北半分が麻苧問屋、南半分が明治32年に設立された栃木共立銀行としてつくられていて、出入口も別々に設けられています。両側の石蔵は北側の麻蔵が明治42年、南側の文庫蔵が明治43年の上棟で、外壁はいずれも鹿沼産の深岩石が積まれており、小屋組み木造のキングポスト(洋風小屋組)が用いられ、窓や出入口にも洋風の意匠が目立ちます。また、文庫蔵の軒には赤煉瓦積みの蛇腹を廻しています。
庭園内には大正7年建築の離れ(洋館)があり、外観はハーフティンバー型式(壁面に柱や梁が露出する構造)を用い、内部は和風を基調としているが天井を洋風にするなど和洋折衷になっています。
このあたりの風景は趣があり、撮影スポットとしても人気です。曳道に下りることもできます。
横山郷土館から巴波川の支流を進むと、県庁堀と呼ばれる細い掘割が巡らされています。市内西エリアで、ここは明治17年(1884)に県庁が宇都宮に移るまで栃木県庁だった敷地です。南端には、旧栃木町役場庁舎(栃木市立文学館)が残っています。大正10年(1921)築の木造2階建てで、塔屋付きの洋風建築。ペパーミントグリーンと白を基調とした洋館の外観が、春らしく新緑に映えて見えます。
また栃木高校の敷地内にある朱塗りの柱が印象的な記念図書館も見逃せません。当時の皇太子(後の大正天皇)の来校を記念して、大正3年(1914)に完成しました。
再び巴波川沿いの道に戻り、開運橋を渡った先の市内北エリア、万町交差点近くから約700m続く通り、日光例幣使街道沿いに沿って発展した町並み嘉右衛門通りを歩きます。江戸時代の脇街道の一つで、徳川家康の没後、元和3年(1617)静岡県久能山から日光山東照宮に改されたのち、幣帛(供物)を奉献するための京都朝廷の勅使(日光例幣使)が通った道が日光例幣使街道です。中山道の倉賀野宿(群馬県)を起点に、太田宿、栃木宿などを経て楡木で日光西街道に合流して日光に至る。21の宿場があり倉賀野から数えて13番目の宿場が栃木宿でした。
日光例幣使街道に沿って発展した町並みは、東西約320m、南北約650mに渡って平成24年(2012)に栃木県で初めて国の重要伝統的建造物保存地区(嘉右衛門町)に選定されています。天保年間(1830~44)の家並みを基本に100以上の建造物が残っている。この地区を開発したのが後醍醐天皇より岡田性を賜り、徳川家より下賜された“嘉右衛門”を代々襲名する550年以上の歴史を持つ当時の岡田嘉右衛門です。4000坪の敷地を持ち、江戸時代には畠山氏の陣屋となり、代官職も代行したといいます。
その財力の一端は、岡田記念館と嘉右衛門橋近くにある22代当主の隠居所、翁島別邸で垣間見ることができます。
大通りと巴波川沿いが、栃木市の中心と思われがちですが、街道の歴史を伝えるのは嘉右衛門町通り界隈です。街道沿いには見世蔵をはじめとした江戸末期から昭和初期の建物が良い状態で残り、特に大正期に建てられた木造真壁造りの店舗建築の天海家や平澤商事は風情があります。
かつてヤマサ味噌工場であった江戸末期に建てられた木造・平屋建の建物を修理したガイダンスセンターで、伝統地区の紹介をしています。
通りの北端にある油伝味噌は18世紀後半創業のみそ醸造元。土蔵など5棟が国の登録有形文化財に指定されています。
日光例幣使街道は、栃木駅北口まで続き、駅付近で西へ進路を変えます。万町交差点まで戻り、駅北口まで真っすぐ伸びる大通りが「蔵の街大通り」です。電線を地中化した通りは見通しが良く、道幅も広い、両側に古い蔵や店舗が並びます。景観を重視し、アーケードも取り払ったため、蔵の2階や屋根など高い部分も良く見えます。建築年代により異なる高さや造りの違いなども見比べながら歩きます。
江戸時代の蔵に加え、明治や大正のレトロな洋風建築も素敵です。右側の好古一番館は大正時代に建てられた呉服店を改修。現在はそば店として使われています。ここではご当地フードの“じゃがいも入り焼きそば”がいただけます。戦後の食糧難時代に、おなかをいっぱいにするためにジャガイモが加えられて誕生しました。キャベツとゆでたジャガイモがゴロゴロ。ソースのからんだイモと麺の相性もバッチリです。麺の合間にじゃがいもを頬張れば、優しいホクホク感が口の中に広がります。
並びには「とちぎ蔵の街観光館」があります。かつての荒物問屋の見世蔵と土蔵蔵群からなり、土蔵群は戦後になり「蔵のアパート」として利用されてきました。現在、大通りの面した見世蔵では観光案内と土産品販売、奥の土蔵群はお食事処と土産品販売を行い蔵の街観光の拠点施設と活用されています。
大通りを挟んで向かいにある平成30年(2018)3月にリニューアルされた「とちぎ山車会館」は、隔年開催の「とちぎ秋まつり」を紹介する施設で、山車の保存も考慮された、独創的なデザインの建物です。館内には商人の財力を競った江戸末期から明治時代に作られた江戸型人形山車が6台収蔵し、3台ずつ展示しています。日本武尊や三国志の英雄などの人形を彫刻や頂く高さ7m~9mの彫刻や刺繍が施された豪華絢爛な山車に目を奪われます。
お隣の「とちぎ蔵の街市民ギャラリー」は、平成15年(2003)に約200年前に建てられた土蔵3棟を連結させ、栃木ゆかりの作家作品を中心に収蔵しています。元は善野家土蔵(通称おたすけ蔵)で煤けたようにも見える外壁は、漆喰壁に漆を塗ったもので、財力を誇示するためだったといいます。善野家(釜佐)は、先祖が近江の出身で、江戸時代の延享年間(1744~1748)に同じ町内の善隆喜兵衛(釜喜)より分家し、米などを扱うほか大名などを相手とした質商も営み栃木を代表する豪商となりました。蔵の名称は、江戸時代末期に困窮人救済のため多くの銭や米を放出したことに由来するとも、また失業対策事業として蔵の新築を行ったためと言われています。
大通り側から東蔵、中蔵、西蔵の順に3棟が平行して並び、いずれも二階建ての切妻・妻入りで、屋根は棧瓦葺、外壁は土蔵造りに黒漆喰仕上げです。規模は東蔵と中蔵が梁間2間半(約4.5m)、桁行6間(約10.9m)、西蔵は梁間3間(約5.5m)、桁行8間(約14.5m)で、各棟とも南側に観音開扉の戸口を設け、前面には3棟連続の下屋庇を架けて正面に格子を建てています。建築年代は東蔵が文化年間(1804~1818)初期、中蔵が天保2年(1831)以前、西蔵が天保11年(1840)であることが判明していて、栃木市に現存する最古の土蔵群です。
栃木駅まで歩いて20分弱、途中喜多川歌麿の肉筆画の大作、「深川の雪」「品川の月」「吉原の花」の三幅を撮影した明治2年創業の老舗写真館「片岡写真館」を見て戻ります。栃木の豪商、善野伊兵衛の依頼で制作されたと伝えられ、現在は、「月」「花」はアメリカのフーリア美術館が、「雪」は箱根町の岡田美術館の収蔵となっています。
旧例幣使街道の大通りや嘉右衛門町には古くからの商家が軒を連ね、今も現役の見世蔵や大正以降に建てられた洋風建築が数多く目に入り、小江戸・川越や佐倉と並び称される街並みです。街角から路地裏へ、まずはぶらりと歩いてみてください。江戸の「粋」と京の「雅」が出会う蔵の街・栃木に、心に湧き上る懐かしさ、驚き、感心、発見が気づかされる旅はいかがですか。