岩木山を望む津軽平野の中心都市、弘前は、江戸時代には弘前藩の城下町として、明治から大正期の近代には英語教育やキリスト教伝道のために招かれた外国人教師・技師のための多くの洋館が建てられ学都として発展した街。現在は和洋それぞれの歴史的建造物が点在し、食文化が根付いている魅力的な街です。特に老舗の和菓子店から、パティシエが腕をふるう洋菓子店まで、青森県弘前市には個性的なアップルパイを作る店がひしめきます。リンゴ産地らしい食文化、本場のアップルパイを味わおうと弘前に向かいます。
弘前市内に向かう途中立ち寄ったのが郊外のアップルロード沿い、津軽ゆめりんごファーム内にある「ゆめりんごPATISSERIE」です。自社農園で大切に育てられた樹上完熟のりんごを贅沢に使ったスィーツが自慢で、なかでも手作りのアップルパイは大人気です。
食感を残した大き目にカットされたりんごのコンポートと青森県産小麦の風味豊かなパイ生地とが相性抜群で、シャキシャキとした果肉感と程よい甘さが楽しめます。
弘前市内に入り弘前駅から弘前公園に向かえば、しっとりと落ち着いた風情が漂い、津軽十万石の城下町として栄えた昔が偲ばれます。そんな弘前の街並みのなかに佇む、いくつかの洋館。明治初期から外国人教師を招いて英語教育に力を入れ、またキリスト教伝道の先進地でもあったため、多くの洋館や教会が建てられました。その背景には堀江佐吉という一人の棟梁の存在があります。函館で洋風建築の基礎を学び、独学で洋風建築を修めた津軽藩のお抱え大工・堀江家の5代目堀江佐吉は、明治を迎えた故郷・弘前で、学校や銀行など、新時代の息吹を象徴とするような建築物を手がけました。また鍛冶職人の三男として生まれた桜庭駒五郎は熱心なクリスチャン棟梁として知られています。棟梁が心と技を注いだ洋館は、藩政時代より培われたきた豊かな文化に守られ、その輝きを今にとどめています。
弘前城跡の石垣が見える辺りへと歩みを進め、ふと気が付けば、視界に異国情緒あふれる洋館のたたずまいが見え隠れします。藩政時代を彷彿とさせる弘前城、そのごく近くに洋館が立ち並ぶことの不思議さ。心が踊り、足取りも軽く弘前城お堀沿いの高台にある藤田記念庭園洋館を訪れます。大正10年(1921)に弘前出身の実業家で日本商工会議所初代会頭の藤田謙一の別邸として建てられた洋館で、とんがり屋根の八角塔が印象的な大正浪漫を感じさせる洋館です。設計・建築を手掛けたのは、棟梁堀江佐吉の息子たち、当時の堀江家の面々が心血を注いだ建築なのがわかります。桟瓦葺きの木造2階建てで、壁面はダークグレーのモルタル塗り。反りを付けて玄関先まで延ばされたドーマー付きの袴腰屋根と、上部に八角平面の尖塔屋根付き塔屋を配した切妻屋根をL字型に組み合わせています。瓦葺だが、尖塔部分は赤い鉄板葺き、建物の大部分がグレー系で統一され、赤とグレーのコントラストが建物にアクセントを与えています。
一階が大広間とサンルームを利用した「大正浪漫喫茶室」として開放されています。弘前市が舞台のアニメ「ふらいんぐうぃっち」第7話に登場する「喫茶コンクルシオ」のモデルで、外の光が差し込むサンルームはタイル敷の床やミントグリーンの窓枠がレトロな情緒を演出しています。
特等席はサンルームを利用した窓際。庭園の四季の彩りを眺めながらいただくアップルパイは格別です。とくにアップルパイは市内6店のアップルパイの中から選ぶことができ、どれを食べようか迷うところですが、カップル、お友達といっしょに食べ比べができるのが嬉しい。
写真は生地からすべて手作りにこだわる老舗店「ジャルダン」のアップルパイ。さわやかな甘酸っぱさが人気の希少品種“紅玉”を使用したやわらかな煮リンゴとバター香るやさしい甘さのパイがマッチしています。
もうひとつは、特製のパイ生地に青森県産の“ふじ”の果肉をたっぷりのせて焼き上げている「オークレール」のアップルパイです。爽やかな甘みの果汁が口いっぱいに広がります。
洋館が点在する浪漫の街・弘前を歩きます。弘前城の外堀沿いに追手門方向に歩くと今はスターバックスコーヒー弘前公園前店にリノベーションした「旧第八師団長官舎」が建っています。大正6年(1917)、堀江佐吉の長男堀江彦三郎の設計で建てられ、戦後はアメリカ軍の進駐部隊司令官宿舎として、また市長公舎として使用されました。ヨーロッパで発展したハーフティンバー風の洋風高級住宅を彷彿させる建物です。
弘前市役所の周辺は洋館の宝庫で「旧弘前市立図書館」は、明治39年(1906)日露戦争による利益還元を目的に建てられた堀江佐吉が設計施工したルネサンス様式の建物です。左右に八角形のドーム型双塔が設けられ、正面のドーマーウィンドーや玄関屋根のペディメント(破風)などルネサンス様式の優美な姿は洋風技法水準の高さを感じさせますが、外壁は漆喰塗りで塔の庇は木鼻をせり出して処理するなど日本の伝統技法も取り入れられています。また室内を明るくするために窓を多く設け、八角形のドームは多方向から採光できるという機能を持ちます。
明治の初め、日本各地を旅して『日本奥地紀行』を著いたイザベラ・バードに「カレッジ」と称えられた津軽藩の藩校であった稽古館を母体に、最後の津軽藩主津軽承昭の資金援助を得て、明治5年(1872)に創立されたのが青森県初の私学・東奥義塾です。プロテスタントの宣教師でもあった東奥義塾の外国人教師たちが弘前に移り、彼らの住居だったのが隣接する「旧東奥義塾外人教師館」で当時の生活ぶりが味わえます。明治33年(1900)に同校の宣教師ジョン・イングが所属していたアメリカのメソジスト・ミッションボードで設計されたのを堀江健吉らが建てた外国人教師専用の住居で煙突やベイウインドウが味わい深いです。外壁は下見板張りで、整然と並ぶ窓が印象的です。
裁判所の先には青森県初の銀行第五十九銀行の本店として明治37年(1904)、堀江佐吉が晩年59歳のときに設計施工した「旧第五十九銀行本店本館(青森銀行記念館)」があります。木造2階建てルネサンス風建築でシンメトリーな外観が調和よく建てられています。洋風ですが、外壁を張り瓦の上に漆喰塗りにするなど、構造は堅固な土蔵造りにし、防火や防犯に対する配慮がなされ和洋折衷の趣です。外壁は漆喰の明るいグレー、そして窓枠や柱の淡いペパーミントグリーンと屋根瓦の黒の対比が美しい。屋根に飾られたパラストレード(装飾欄干)、ドーマーウィンドー(屋根窓)や柱頭部分の装飾が、建物の景観を引き締め、銀行にふさわしい荘重さを感じさせます。展望台を兼ねた塔屋はこの建物の象徴のひとつです。
弘前城東門方向には二つの教会があります。「カトリック弘前教会」は、明治43年(1910)オージェ神父が設計し、堀江佐吉の弟である横山常吉の施工による当時、ヨーロッパで流行していた尖塔をもつロマネスク様式の木造モルタルの教会堂で、厚い壁に小さな窓が特徴的です。白を基調とした優美な建物と重厚な雰囲気を持つ祭壇とが美しく調和しています。慶応2年(1866)に制作されたというゴシック様式の祭壇は、高さ約8mにもおよぶもので、オランダ・アムステルダムの聖トマス教会にあったもので、当時の主任司祭、J・コールス神父が特別に譲り受けて、昭和14年(1939)帰任の際に持ち帰ったと伝わります。扉には津軽地方の伝統工芸「こぎん刺し」の白い十字架、壁には聖マリアの日本画が飾られています。カナダのカロン神父から贈られたステンドグラスには、岩木山、りんご、津軽三味線など弘前がまるごと描かれ、春分の日と秋分の日には、朝の6時半くらいにステンドグラスからの光がイエス様にあたり、とても美しいとのことです。
「日本基督教団 弘前教会」は明治8年(1875)に創立された、東北最古のプロテスタントの教会です。最初の教会堂は火災により焼失、明治39年(1906)に再建されました。クリスチャン棟梁、桜庭駒五郎が設計し、堀江佐吉の四男・斎藤伊三郎が施工したパリのノートルダム大聖堂をモデルにしたと伝わる外観は、フランスゴシック風の双塔が印象的で、内部は白漆喰が美しい。礼拝堂の中の説教台と聖餐台には津軽塗が施され、献金用のカゴにあけび蔓細工を用いるなど、弘前らしさを随所に感じます。
弘南鉄道大鰐線・中央弘前駅駅前にあるのが風格漂う建物が印象的な「日本聖公会 弘前昇天教会」は、明治29年に弘前に伝道された聖公会の教会で、大正10年(1921)に建てられ、愛知県明治村に遺る聖ヨハネ教会と同じく、明治・大正の教会建築に活躍した米国人ジェームス・M・ガードナー設計で施工はクリスチャン棟梁・林緑です。レンガ造りの平家建で、全体がゴシック様式にまとめられていて、イギリス積みのレンガ、開口部廻りと控壁上の水切りに用いた石材など建物の重厚さを出している。正面右寄り上部の三葉飾りのアーチにある鐘は、朝夕の祈りの時間に清澄な音で時を告げています。
心行くまで眺めたら「旧弘前偕行社」に向かいます。ここは明治31年(1898)に創設された旧陸軍第八師団の将校の親睦・厚生施設として師団司令部の東方にある弘前藩9代藩主寧親の別邸「富田御屋鋪」跡に建設された建物です。明治40年(1907)に建てられた堀江佐吉設計最後の建築物で、この完成を見る3か月ほど前、佐吉は病没し、棟梁として現場を取り仕切ったのは、長男の堀江彦三郎と六男金蔵でした。
ルネサンス風様式を基調とした木造平屋建で簡明な洋風建築です。正面中央上部のドーマーウィンドー(屋根窓)、軒廻りの持ち送り板、窓廻りの飾り枠や上部に付けた櫛形あるいは三角形の破風飾りなど、豊かな装飾を備えています。玄関のポーチペディメントには、第八師団の「ハチ」をもじった「蜂」の鉄製飾りがあります。
近くには大正14年(1925)建築の「旧制弘前高等学校外国人教師館」があります。煉瓦積み基礎、窓、外壁などに洋風建築の意匠が多く取り入れられた木造二階建の端正な建物です。屋根は棟が交わる半切妻造で一階は鎧下見板張に両開窓、二階はモルタル塗に上げ下げ窓と変化をつけています。設計施工は堀江佐吉のもと、副棟梁として働いていた川本重次郎によって建てられました。
太宰治が弘前大学の前身、旧制弘前高等学校に通っていた頃、ここに住んでいた英語教師のところにしばしば訪ねていたといいます。現在は弘大カフェ「成田専蔵珈琲店」になっています。
中央弘前駅駅前に戻る前に立ち寄るお店が、2021年6月12日付日経新聞『ご当地食の旅』アップルパイ(青森県弘前市)で掲載されていたのが「洋菓子工房ノエル」です。甘さ控えめのシナモンの香り豊かな「りんごが主役」のアップルパイは、平成14年(2002)地元の第2階アップルパイコンテスト弘前市長賞を受賞。年間を通してお客様に提供できるよう“ふじ”りんごを使用し、パイ生地を薄くして、りんごをどっさり詰めた「ろんごたっぷりパイ」です。
洋館巡りを終え、少し現代建築に触れるべく、中央弘前駅に隣接する「弘前れんが倉庫美術館」を訪れます。明治40年(1907)から大正12年(1923)にかけて日本酒醸造場として建設された赤レンガ倉庫「吉野町煉瓦倉庫」は、その後国内で初めて本格的にりんごの発泡酒・シードルを生産する工場から米の備蓄庫などへと用途を変え、現在は歴史的建造物として残されています。この築100年の赤レンガ倉庫を「記憶の継承」と「風景の創生」をコンセプトにリノベーションし令和2年(2020)誕生したのが弘前の新たなランドマーク「弘前れんが倉庫美術館」です。「吉野煉瓦倉庫」の創始者である福島藤助の「簡単に壊すことのできない頑丈な素材を用いることで、たとえ事業が失敗しても、たてもの自体が町の将来のために遺産として残すことができる」よいう煉瓦建築へのこだわりと情熱を継承し、飛行場の滑走路跡地を活用した「エストニア国立博物館」の設計などで知られる、建築家・田根剛が設計し、新築でも改築でもない外観をほとんど変えることのない『延築』を目指しました。
建築の随所に見られる田根氏の意匠。古いシードル工場時代を彷彿させる屋根は、シードル。ゴールドに輝くチタンの金属板で葺き直した美術館のシンボル。正方形の特注チタン約13000枚を使用した屋根材は、天候や時間の経過に伴う光の反射によってさまざまな色に変化します。
またひときわ目を引くのは、ドームアーチ状に積み上げた煉瓦造りのメイン・エントランス。既存のイギリス積みに対し、「弘前積みレンガ工法」と呼ばれる互い違いに煉瓦を重ねて柔らかなド-ム型アーチ状に組み上げられています。国内では皆無に近いといわれる難易度の高い工法とされ、手仕事ならではの美しさを証明し、ぬくもりに包み込んでくれます。
美術館として展示を行うミュージアム棟とシードル工房や物品の販売を行うカフェ・ショップ棟の二棟からなります。アーティストと地域の交流から生まれた作品を展示・収蔵するなど、年2階の企画展を中心に弘前ならではの現代アートが楽しめるミュージアム棟の入口では、真っ白な犬の彫刻・奈良美智制作「A to Z Memorial Dog」が赤いレンガの前に立って来場者を迎えてくれます。この場所で2006年に開催された展覧会を支えたボランティアの方々へ感謝の気持ちとして贈られた作品です。
日本初となる本格的なシードル製造工場だった赤レンガ倉庫を改修し、館内に「A-FACTORY弘前吉野シードル工房」を併設しているのがカフェ・ショップ棟です。正面壁は明治期の建設当初のものを活かして再生、重厚感と温かみを残したオシャレでモダンな雰囲気。エントランスにあるロゴが日本を代表するグラフィック・デザイナーの服部一成氏が制作しました。
ガラス越しにシードル工房を見学でき、1600ℓのタンク2基と600ℓのタンク5基を備え、県産リンゴ本来の味や香りを引き出した限定シードルなどを製造しています。高い天井の下、シードル工房を見ながら青森県産の食材を生かしたメニューが味わえます。弘前で造られる10種以上のシ-ドルの中からスタッフおすすめを飲み比べできるのはここだけです。
アート、建物の魅力に加え、食も楽しまるランドマークの誕生に期待が高まります。