紅葉の旅!奈良多武峰街道で談山神社へ、そして飛鳥の里へ

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いよいよ本格的に紅葉の季節到来です。秋は古来、黄色の花である「菊」の季節でした。重陽の節句は平安時代の初めに中国から伝わり、旧暦9月9日は現在の10月中旬ごろにあたり、まさしく菊が美しく咲く時期です。菊は「仙境に咲く霊薬」として邪気を払い長寿の効能があると信じられていました。すなわち紅葉のような赤色ではなく、菊や銀杏の黄色が、深い秋を象徴していました。

そもそも「もみじ」という言葉は、秋に木々の葉が変色することを「黄葉(もみ)つ」と呼んででいたのが、なまって「黄葉」と表記されるようになり、後に「紅葉」と表記されるようになったと言われます。さて紅葉や黄葉が楽しめる名所として「談山神社」を選び、多武峰街道・談山神社を中心にコースを考えてみました。

多武峰街道」は、大字浅古にある談山神社の一の鳥居から五十二石の町石に誘われて「大化の改新」の主役、中大兄皇子と中臣(藤原)鎌足が蘇我氏討伐を神社背後の山で談らったことから談い山の名が伝承され談山神社の名が起こったといわれる多武峰を越える道です。戦国時代は豊臣秀吉の吉野統制の道として、また江戸時代には吉野の桜見物の観光路として栄えた道といわれている。松尾芭蕉や本居宣長など様々な文化人が愛し、歩いた道として有名です。その大化の改新ゆかりの地・多武峰から、飛鳥の里を訪ねる「多武峰・飛鳥の里コース」てくてくまっぷ奈良ー10 多武峰バス停~談山神社~石舞台バス停までの約6kmの行程を歩きます。

まずは近鉄桜井駅南口から談山神社行きの奈良交通バスに乗ります。バスは市街地を抜けて寺川沿いに山間部を走り、終点ひとつ手前の多武峰バス停で下車する。ここから杉木立に囲まれた元多武峰寺の境内を歩くとこの神社の歴史がより感じられます。

バス停前から屋根の付いた「屋形橋」を渡っていく。談山神社の神域に架かる橋で昭和54年(1979)に再建されました。本居宣長は『うるはしき橋あるを渡り・・・』と菅笠日記に記しています。

渡る右手に享和9年(1803)年建立の東大門(高麗門)が建つ。元多武峰寺(元は神仏習合時代の妙楽寺子院護国院の山門)の境内を通って談山神社正門へ至る坂道が分岐している。杉木立に覆われた坂沿いには、寺の建物が並んでいたと思われる石垣が点在し、かつての伽藍が目に浮かびます。

坂道をゆくと左に、日本広しといえど、ここでしか見られない高さ3m余りの鎌倉時代後期の摩尼輪塔がある。摩尼とは宝珠のことで石の八角柱の正面に大日如来の梵字「アーク」を刻んだ円盤が付けられている珍しいものである。そこからさらに坂を登りきると談山神社正門の鳥居前にでます。

奈良大和路きっての紅葉スポットで、「日本絶景紅葉百選」に選ばれており、朱塗りの社殿群と競い合うように約3000本ものカエデが赤く燃え立つ様子は、雅やかである。葉が普通より小さいため、色濃く繊細なのが談山神社の紅葉の特徴で、藤原道香が「ちしほにも なほひとしほの 色そえて ゆふ日かがやく 峰のもみじば」と唄っているほどです。

桜井市の南部、多武峰中腹に鎮まる「談山神社」は白鳳7年(678)唐より帰国した藤原鎌足の長男・定慧和尚が、父を弔う為に摂津国阿威山から遺骨の一部を改葬、その墓の上に十三重塔を立した妙楽寺(多武峰寺)を起源とし、さらに定慧の弟の藤原不比等が大宝元年(701)方三丈の神殿を建て、鎌足公の御神像を安置したのが談山神社の始まりです。明治になって談山神社として独立しました。

藤原鎌足を祀る日光東照宮の手本となった絢爛豪華な三間社隅木入春日造りの本殿には極彩色模様や花鳥などの彫刻が施されており、西の日光と呼ばれまるで絵巻物のようである。大宝元年(701)に創建され、嘉永3年(1850)に建て替えられました。

その本殿を中心に、拝殿・楼門・東殿など多くの豪華な建物が残っています。特に現存する唯一の木造「十三重塔」は、唐の清涼山宝池院の塔を模して建てられたと伝えられ、高さは17mあり屋根は伝統的桧皮葺きである。国の重要文化財でもある。現存のものは享禄5年(1532)の再建です。

塔の前にある階段を少し下りると「新廟拝殿」があり、朱の拝殿総社拝殿のすぐ前、春秋に「けまり祭」が行われる蹴鞠の庭に立ち、新廟拝殿越しに紅葉そして十三重の塔を撮影するのも良い。

拝殿からの眺めも格別で、朱塗舞台造りの拝殿は永正17年(1520)の造営で、中央の天井は伽羅香木でつくられています。折れ曲る東西透廊は本殿を囲む特異な形態をもち、檜皮葺の屋根が美しく、外廊の多くの金灯籠も美しい。

境内裏手の磐座脇から小道を辿り、多武峰の山中で行った場所であるとされる談山とその名もすごい御破裂山に登ります。道は歩きやすく、談山まで290m(徒歩10分)御破裂山まで510m(徒歩20)で境内から往復約90分ほどです。談山(かたらいやま)(566m)は、古くから「談所ヶ森」と言われ、中大兄皇子と中臣鎌足が、大化元年(645)5月大化の改新の秘策を練った場所だと言われます。談山神社に伝わる『多武峰縁起』には「中大兄皇子、中臣鎌足連の言って曰く、鞍作(⁼蘇我入鹿)の暴逆をいかにせん。(中略)中臣連、皇子を将いて城東の倉橋山の峰に登り、籐花の下に撥乱反正の謀を談ず」と大化の改新の談合の様子が記されています。

御破裂山(607m)は、古来より国家に異変が起こる時には、鎌足の神像に亀裂が生じ、御破裂山が鳴動するといわれ、朝廷はその都度、勅使を差し向けて国家安泰を祈らせたといわれます。頂上には鎌足公の墓所があり手厚く葬られています。御破裂山から眺める大和盆地の景色も素晴らしい。

拝観後はハイキング道を下って古代史の里・飛鳥へ向かいます。神社前の急坂を上れば、すぐに峠に至る。かつて談山神社の西門があり、飛鳥からの参拝客を迎えていました。このあとは下るだけで、そこからさらに平坦な道を20分ほど歩いたところには小集落と三社神社があり、その先の標識に従い進む。道中さまざまな石仏を見ながらの道行きです。まもなく、いのちがけ奇行で有名ま高僧・増賀上人(917~1003)の墓・念誦窟(ねずき)と記した標識と出会う。

圧倒される数の石仏に見守られながら長い石段を登ること10分で不思議な形をした石組が現れる。それが「誦窟」と言われ、方形の石壇上に、二重石積みの円形塚が築かれ、塚の頂部には「慶長7年(1602)」銘が印刻された五輪塔の地輪が置かれている。増賀上人は坐ったままみまかったと言われ、「決して荼毘に伏すな」との言葉に念誦したままの姿で安置されたが、衣服はボロボロになっても朽ちても、その身体はいささかも腐乱することなく3年が経ち、遺言どおりに大きな穴を掘って座禅の姿のまま埋めたとされる。その穴の上に築かれたものがこの石組だと言われます。

次は万葉展望台へ。万葉展望台1.0kmの道標の地道を下るとほどなく出会うのは個性豊かな見事な石仏三体で、微笑んでいるかのような表情に心癒されつつ、ゆるやかな尾根道を下って進むと展望台に到着します。

音羽山(852m)「万葉展望台」からはまほろばの国大和、大和三山はもちろん、飛鳥の里も眼下に広がるパノラマを一望でき、遠くに金剛山・葛城山・二上山なども見えます。最高のビューポイントを満喫しながらここで昼食をとることにします。万葉集では倉橋山と呼ばれていて、「梯立の倉橋山に立てる白雲見まく欲り我がするなへに立てる白雲」万葉集:作者不明の旋頭歌ひとつ

展望台への階段を挟んで道は二手に分かれ、右は飛鳥寺へ、左は石舞台へと向かいます。今回は飛鳥の石舞台に向かいます。柿などの果樹園や遠くに日本棚田百選の「稲淵棚田」も望めるのどかな雰囲気の中、道を下っていくとやがて正面に飛鳥の里のシンボル「石舞台古墳」が見えてきます。稲淵の棚田はNHK連続テレビ小説「あすか」にもたびたび登場した場所です。

石舞台」の墳丘は一辺50mの方墳で、幅8.4mの濠が巡る。盛土を除かれ古墳の石室が露出した総重量2300トンの花崗岩の巨石を39個も積んだ蘇我馬子のお墓と伝わる日本最大級の横穴式石室は玄室の長さ約7.8m、幅約3.4m、高さ約4.8m。内部にも自由に入れ、その巨大さが実感できる。(「あすか」で家出したあすかが夜を明かした場所) 石室が露出しているのは、馬子の専横ぶりに反発した後世の人が封土をはがしたとも伝わります。

古代ロマン漂う古墳の周囲には紅葉が広がっていた。ここまで約6kmの行程です。

ここから伝飛鳥板蓋宮跡~飛鳥寺~山田寺跡~安倍寺跡と桜井駅までの道は磐石の道(山田道)と言われ、桜井から飛鳥を経て紀州へと至る幹線道路であり、旧くは白浜温泉への観光路でもあったこの道は、大化改新ゆかりの道といってもいいぐらです。時の右大臣、蘇我倉山田石川麻呂創建の山田寺跡、左大臣、安倍倉梯麻呂創建の安倍寺跡、そして蘇我氏討伐の舞台となった伝飛鳥板蓋宮跡・・・と人物、史実をたどることの出来る道です。                                          ドラマチックな古代史の舞台!明日香が飛鳥だった頃を旅する」はこちらhttps://wakuwakutrip.com/archives/4277

最後に桜井駅に行く前に「等彌(とみ)神社」に寄ります。ここは一歩神域に入ればとても厳かな神社であり、その荘厳さに身が引き締まる感じがします。創建年代は不明ですが、社伝によると古より鳥見山に鎮座していたとされ、鳥見山は初代天皇の神武天皇4年の春2月に皇祖神及び天津神を祀った場所である霊畤(まつりにわ)と伝わります。鬱蒼とした森の中に上津尾社(御祭神は天照皇大神)、下津尾社(御祭神は八幡大神・春日大神)等が配置されていて、ひんやりとした霊気を感じる。紅葉はまだ先という感じでしたが時間が許せば鳥見山山頂の霊畤まで登拝(往復1時間)しじっくりとまた行ってみたい神社でした。

 PS・・・偶然この日のTV番組「137億の物語」では大化改新を取り上げ「談山神社」が写されていた。また「美の巨人」では行かなかったが同じ鎌足の長子・定慧和尚創建の聖林寺の天平彫刻の傑作、国宝十一面観音像が取り上げられていた。

 

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