近江商人の町としても知られる近江八幡は、豊臣秀次が築いた八幡山城の城下町。商業都市として発展し、石垣が残る城跡や水運に使われた掘割の八幡堀とともに当時の風情をそのまま残す町。そんな景観に加えて街のあちこちに、建築家ヴォーリスによる洋館が点在しています。町家と洋館、今と昔の間をゆらゆら、舟にのってもゆらゆらと当地ならではの景観を楽しみます。
城下町らしい日本伝統家屋の和の町並みにぽつんと佇む洋館には、長い年月を経たものならではの、ノスタルジックな魅力がたっぷり。建築のみならず、医療や教育といった幅広い分野で活躍したW・M・ヴォーリズの建築物を訪ね歩くのも近江八幡のもう一つの魅力です。ウィリアム・メレル・ヴォーリズ(1880~1964)は明治38年(1905)2月2日24歳に滋賀県立商業高校(現・八幡商業高校)の英語教師として来日して以来、キリスト教伝道活動を行うとともに、建築家として活躍し、大丸心斎橋店、神戸女学院、関西学院大学や山の上ホテルなど日本に残した建築物は1500棟以上。彼が移り住み、昭和39年(1964)83歳で人生を終えるまで「近江八幡は世界の中心」との思いで生涯深く愛した近江八幡には、20数棟(軒)現存しています。「建築物の品格は人間の人格と同じくその外装よりもむしろ内容にある」との考え方をもとに建築活動を展開し、住む人への心遣いに満ちた彼の建築デザインがまとめて楽しめるのもこの町だけといえます。
伝道のかたわら病院や学校を設立し、それら社会貢献事業の資金を得るためメンソレータムを輸入、のちに製造販売しました。“小さな看護婦さん、メンソレータム♪”(今はメンターム)のCMでお馴染みの近江兄弟社の創業者はヴォーリズと日本人の教え子。社名の由来は、私達は皆兄弟というキリスト教の考え方からだそうです。写真は近江兄弟社メンターム資料館前の子どもにも“ヴォリさん”の愛称で親しまれたヴォーリズ像です。またヴォーリズ建築巡りは所要時間2時間、市営小幡観光駐車場からスタートです。
赤レンガ塀が連なるレトロな池田町洋風住宅街(ヴォーリズ建築群)は、大正期に手掛けた初期の作品で、アメリカ開拓時代を象徴するコロニアルスタイルと呼ばれる建物で、アメリカ式住宅のモデルハウスとして建てた旧近江ミッション住宅群です。左の建物はヴォーリズと働いた吉田悦蔵の住まいとして大正2年(1913)に建設。
手前のもう一棟、ウォーターハウス記念館も大正2年(1913)に建てられたヴォーリズ最初期の建物。広い窓や青いドア、明るい壁色のデザインからはアメリカンな雰囲気が漂います。
新町通りとの角にある郷土資料館は、近江商人の代表的な人物、西村太郎右衛門の宅地跡にあった明治19年(1886)に建築の旧八幡警察署の建物で、改築をヴォーリズが手掛けています。
八幡教会に隣接するアンドリュー記念館は、旧YMCA会館。ヴォーリズが建築事務所を開業して最初に建てた建物です。
晩年のヴォーリズ夫妻が住んだ場所で今日では記念館となっているのが一柳記念館(ヴォーリズ記念館)です。一見普通の質素な木造住宅ですが、赤煉瓦の門、下見板張り、両開きの窓に白の窓枠、暖炉の煙突と洋風を感じさせます。もとは昭和6年(1931)幼稚園の先生の寄宿舎として設計されたのですが、建築途中に自宅に変更され、引き続いて和室部が増築されています。児童が遊びに来ることを考え、ドアノブも低くなっています。内部は独立した洋室の間取りや数多く設けられた収納空間、さらに夫人のために日本の生活様式に合わせて和室を取り入れるなで生活面での配慮と機能性を重視したヴォーリズの設計思想が良く表れています。一部が公開され、近江を神の国にすることを志した直筆の書「神の国」や夫妻ゆかりの品々などを展示しています。外光により十字架の形が浮かぶようににデザインされた窓枠が特徴的です。満喜子夫人の姓をとり、帰化後の日本名は一柳米来留に。
ハイド記念館はヴォーリズに共感したメンソレータム社の創始者ハイド氏の多額の寄付により建てられた2003年3月まで幼稚園舎「清友園」だった建物です。ヴォーリズ学園の敷地内にあり、記念館前にはヴォーリズ夫人で園長を務めた一柳満喜子像が立っています。外観はまるでヨーロッパの学校の寄宿舎のような素敵な建物で、建物をよくみればハイド記念館の窓枠にも十字架がデザインされ、自然光がたっぷり入る縦長の大きな窓が設けらえています。内部は緩やかで角を丸くした階段、保育室の暖炉など子どもたちへの配慮が感じられる工夫が随所に施されています。
旧八幡郵便局も大正期の初期ヴォーリズ建築です。大正10年(1921)に建てられ、入口屋根と両脇の窓のアーチ型の飾りが愛らしい。かつて1階は郵便局業務、2階が電話交換室として使用されていました。館内は暗いと思いきや明かりとりの窓や天窓がふんだんにあり明るい部屋を作りだすヴォーリズの設計です。2階にはヴォーリズに関する資料や満喜子夫人との仲睦まじい写真などが展示されています。八幡山方向に歩けばバス停「八幡堀八幡山ロープウェー口」まで徒歩2分です。
安土駅から徒歩10分、安土保育園の横にヴォーリズ設計による「伊庭慎吉アトリエ」「伊庭家住宅」「伊庭邸」などと呼ばれている旧伊庭家住宅があります。大正2年(1913)に旧住友財閥の二代目総理事伊庭貞剛の四男伊庭慎吉(旧安土村村長)の邸宅として設計されたチューダ様式の洋風木造住宅で、東側を棟違いとして重厚感をもたせたいます。
木造の地上3階建てで延床面積352.36㎡の建物で、主体部と玄関からなり、主体部は、ハーフティンバーと呼ばれる化粧梁で細分化された意匠の外壁に漆喰を施し、木部はベンガラを使用しています。傾斜の強い天然石スレート葺きの切妻屋根を乗せ、煙突を備えた洋風建築と入母屋造りで妻入淺瓦葺の和風玄関とで構成されています。
家人が集まる暖炉の居間はヴォーリズ住宅の特徴といえます。彼の建築は「様式のない建築」が特徴。ひと目でそれとわかるような作家性が前面にでるものではなく、日本の気候風土や住習慣に合わせた工夫がところどころに感じられ、明治、大正時代に建てられた建物でも時代を感じさせません。住む人を中心に心が配られ、実用性のある居住空間は、現代でいうエコハウスそのままです。階段の手すり、日の光がたくさん差し込む窓、床のタイル、居間の暖炉など、素材や色彩にこだわった細工やデザインはひとつのアートです。しかも快適で居心地の良い空間を創り出していりから不思議です。目を凝らして彼のこだわりをみつけてみます。
最後に近江兄弟社メンターム資料館を訪れてみるのもいいですよ。飛び出しとび太のメンタームバージョンがお出迎えです。この場所は近江兄弟社発祥の場所「創の家」で、ヴォーリズの親しみやすい人柄と純粋な心に魅せられて、彼の周りには多くの青年が集い“「神の国」の理想郷”づくりについて語り合い町づくり邁進していきました。建築事業・製薬事業・教育事業や教会設立などの「夢」がこの場所から始まりました。