神奈川・三浦半島城ヶ島で灯台めぐりと三崎のまぐろの満喫旅

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NHK大河ドラマ「鎌倉殿と13人」でもあるように源頼朝が小田原近くの石橋山の合戦で敗北し三浦半島から安房に舟で辿り着いた故事は現代の東京湾フェリーの航路です。「船印帳」なるものができ、御船印めぐりの第32番社に「東京湾フェリー」が参加していて、湘南・三浦半島と房総半島を東京湾フェリーで跨ぎ両半島先っぽ岬/灯台めぐることができます。三浦半島にはフランス人技師・レオンス・ヴェルニーが設計した観音崎灯台・城ヶ島灯台そして房総半島には野島崎灯台があり、三崎のマグロと房総のアジのグルメも堪能するドライブにでかけます。

まずは三浦半島の最南端に位置する三崎・城ケ崎を目指します。日曜朝5時から始まる三崎朝市を覗くためになんと夜中の1時半に長野を出発し予定通り5時に三崎水産物地方卸売市場に到着しました。三崎といえばマグロ。江戸時代本格化した三崎の漁業は明治の末頃、マグロの延縄漁業が始まりました。その後日本各地の船が三崎港に寄港するようになり、年間16000tが水揚げされる日本有数のマグロ基地です。有名な「三崎のマグロ」は今も毎日のように卸売市場で世界中から集まった巨大な冷凍マグロが一日に600~1500本取引されています。今日は日曜なのでセリは見学できませんでしたが、二階から誰でも自由に見学できます。

特に人気なのが「三崎朝市」なので向かいの朝市会場に。オープン前から人でいっぱい、大賑わいのイベントです。マグロや地魚だけでなく、三浦産の野菜、加工食品などの店がずらりと並んでいます。奥のほうには、マグロかき揚げソバやマグロぶっかけ丼のお店やゴロゴロマグロ入りのマグロパンを食べれるお店が並んでいます。

城ヶ島大橋を渡って城ヶ島へ。周囲約4km、面積約1㎢で神奈川最大の自然島で古くからの景勝地。大正時代の詩人北原白秋が「雨はふるふる 城ヶ島の磯に 利休鼠の 雨がふる」と作詞した『城ヶ島の雨』で全国に知られるようになりました。詩人北原白秋は俗にいう桐の花事件(人妻とのスキャンダル)による傷心の果て大正2年白秋27歳の春三崎の地に移り住み10か月滞在しました。そに時期に島村抱月の依頼で作詞したのが城ヶ島の雨です。

城ヶ島には二つの灯台があり、「恋する灯台」に認定されています。東京湾の入口に位置するため歴史は古く、慶安元年(1648)に島東端の安房ヶ崎に設置された烽火台が起源とされています。城ヶ島公園に1962年(昭和37)に建てられたとんがり屋根の灯台「安房埼灯台」は、三浦大根をモチーフにデザインされた高さ16mの灯台です。県立城ヶ島公園は広々としたピクニック広場や二つの展望台などがあり、さえあやかな景色が広がります。

城ヶ島公園駐車場から城ヶ島灯台まで約1.2km「城ヶ島ハイキングコース」となっています。海沿いに岩場が続くので足元に注意しながら地層や岩礁を楽しみます。公園内の「ウミウ展望台」より望む赤羽海岸東側の崖には、毎年10月下旬になるとウミウ、キメウが到来し翌年4月まで毎年2000羽ものウミウが越冬します。断崖は幅300m、高さ30mにわたり、波打ち際からの垂直な崖が人をよせつけないことから鵜の群れのよい生息地にになっています。約1000羽にも及ぶ鵜の乱舞は冬の城ヶ島の風物詩であり、北原白秋もまた深い関心をもってその足跡が島中にあります。「三崎城ヶ島は鵜の島鳥よ 潮のしぶきで鵜が育つ」

馬の背洞門」という地層の積み重なった岩が波の浸食によってメガネ状に繰り抜かれたアーチ状の岩(海食洞門)で赤羽崎の突端にあります。高さ8m、横6m、厚さ2mで、その形状から土地の人は「めぐりの洞門」「眼鏡の洞門」などと読んでいます。1923年以前は洞門下を小船で通行できたが、関東大震災による隆起で陸化したとののことです。

明治の文豪・大町桂月は「―馬の背に至る。怒涛脚下の巌を噛む。左は房州、右は伊豆、前には雲の峰聳ゆ。その雲の峰少し薄らぎて中より大島あらわる。馬の背はやがて馬の首となり、長巌海に突き出す。之を赤羽根と称す」と馬の背を記しています。

島西端の津風呂崎の根元、標高約30mの崖上に建つ灯台が「城ヶ島灯台」です。直接のルーツは江戸時代の慶安元年(1648)に航行する船のために島の東端安房ヶ崎に設けたのが始まりで、延宝6年(1678)に烽火台を島の西端に移設し後に松明を焚く篝火に変更されました。明治3年(1870)にフランス人技術者レオンス・ヴェルニーにより設計された日本の西洋式灯台では5番目の古い時代に設置された灯台の一つです。白秋は「城ヶ島の燈明台にぶん廻す 落日避雷針に貫かれけるかも」と詩っています。

灯台の側面に描かれているのは、扉の向こうに広がる海の風景写真なんですが、ちょっと見は灯台に穴が空いているようなトリックアート風デザインです。扉の脇にはマグロを加えた可愛い猫の姿も描かれています。

城ヶ島灯台に隣接する西洋庭園風の小さな公園の展望台の土台にも猫&マグロのイラストがラッピング。イラストをぐるりと取り囲むローマ字は城ヶ島の名産物や名所、アクティビティやゆかりの人物などのミニガイドになっています。

灯台を下り海岸にでると先ほどのトリックアートに描かれた「長津呂の磯」に出ます。昔北条早雲の臣、長津呂仁左衛門の屋敷下だといわれています。またこの入江付近は埼玉県の長瀞の景に似ているというところから、この名がでたといわれています。城ヶ島の荒磯や島山に白秋の足跡はどこまでも続いています。                                         「春過ぎて夏来るらし白妙の ところてんぐさ採る人のみゆ 一心に船を漕ぐ男遥にみゆ 金色の日がくるくると射し」また釣り人も多く  「ある時はただ千年に一匹の 大鯛釣ると座りたりけり」

昼食はなんといっても西武鉄道&京急電鉄で行く「みさきまぐろきっぷ」で有名な「三崎のマグロ」です。三崎港近くの下町商店街や城ヶ島灯台商店街で美味しい食事がお手頃価格で楽しめます。今回は「タカトシ温水の路線バスで!」で紹介されていた城ヶ島灯台へ上がる階段下のところにある「中村屋」でマグロ丼をいただきます。

おすすめは「まぐろてんこもり丼」。味噌汁と小鉢(今日はひじき)、お新香が付きます。しっかりと脂がのったまぐろのづけ、刺身、まぐろのたたきを豪快に盛った見た目も内容もボリューム満点です。

フランス人技師・レオンス・ヴェルニーゆかりの横須賀へ。首都防衛の拠点として明治期に軍港が整備された横須賀は海軍の町として発展してきました。古くは日本海軍、今は市内面積の約15分の1弱を海上自衛隊と米国第七艦隊の米軍施設が占め、異国情緒あふれる独特の雰囲気が多くの観光客を引きつけています。幕末には戸数200ほどの小さな漁村であった横須賀に、黒船の来航により幕府はフランス人技師・レオンス・ヴェルニーを招聘し製鉄所を建設、その後は明治政府の造船所に引き継がれました。まずは木道と芝生が整備されたフランス式の「ヴェルニー公園」を訪ねます。旧軍港の一部2.6haを昭和21年(1946)に臨海公園として開放され、潮風が心地よい市民の憩いの場になっています。心地よい海風に乗ってバラの香りが鼻をくすぎられます。ここ日米の艦船が見える港を背景に約1500株、130種に及ぶバラが咲くフランス式庭園には、噴水や洋風東屋、バラのアーチなどもあり、横須賀ならではのロマンチックな雰囲気に魅了されます。

旧横須賀軍港逸見波止場衛門が2棟、今回めぐる城ヶ島灯台や観音崎灯台、野島崎灯台を設計したレオンス・ヴェルニーのヴェルニー記念館、戦艦陸奥の主砲などが設置された園内では、まっすぐに延びた歩道の両側にバラの花壇が整然と並びます。赤、ピンク、白、黄色と色とりどりのバラ達に「ようこそ」と迎え入れられたようで、思わず目を細めてしまいます。公園内に立つ昔ながらのガス灯を模した街灯はレトロな港町を彷彿させます。

ボードウォークが整備され、海沿いの散策を満喫できます。

公園を海に向かって左側には逸見岩壁があり、ヘリコプター搭載護衛艦「いずも」と奥の吉倉桟橋には南極観測に使われる砕氷艦「しらせ」のオレンジとクリーム色に塗られた船体がみれます。

散策を楽しんだり、芝生で寛いだりと、多くの人たちが憩っていたのとは対照的に、海上には正面から東側にかけては米軍基地、西側には海上自衛隊の艦船が間近に見えます。米軍施設内には明治時代にできた日本最古の石造ドライドッグがあり、第3号ドライドッグに海上自衛隊の第二潜水艦部隊が使用していて、日章旗をなびかした黒くのっぺりとしたくじらのような独特の船体が水面から艦橋を露にしているのを眺めることができる。

その奥には少し遠目になりますが、アメリカ海軍のミサイル巡洋艦が停泊していて少し明るめのグレー色に塗られているので見分けがつきます。のどかな公園とのギャップが、不思議な感覚にさせてくれる特別なビュースポットです。

軍港近くには「Coaska Bayside Stores」なる商業施設がありYOKOSUKA軍港めぐりの発着場が隣接しています。

YOKOSUKA軍港めぐりは日米両方の艦船を間近で見られる国内唯一の軍港クルーズです。汐入桟橋から出航し、約45分かけて横須賀本港と長浦港を巡ります。遊覧中に見られる艦船は多く、海上自衛隊の潜水艦や護衛艦、米海軍第七艦隊のイージス艦、時には空母や原子力潜水艦なども見れます。案内人が一緒にクルーズ船に乗り込み、艦船の名前や役割、特徴、沿岸の施設、軍港の歴史などを丁寧に解説してくれるので」、より理解が深まります。

散策ついでに「ドブ板通り商店街」に足を伸ばしてみます。名前の由来は軍港街として栄えていた明治時代、この通りに流れていたドブ川に鉄板で蓋をしたことから名付けられました。今では約400mに100店舗ほどが連なり、駐留している米軍が訪れ、アメリカの雰囲気を漂わせる商店街です。ミリタリーウェア店に陳列されている迷彩服を眺めながらエキゾチックな通りをスタート。

途中、ドラゴンやイーグルなど派手でオリエンタルな刺繍が見事なスカジャンが店頭に吊り下げられていたり、看板の上に愉快なオブジェがのっている店があったりと飽きることがありません。昼は明治41年(1908)発行「海軍割烹術参考書」に記された米軍から譲り受けたという海軍伝統のレシピをもとに旧海軍伝統の味、名物のご当地グルメ「よこすか海軍カレー」や「ヨコスカネイビーバーガー」の味を楽しむ観光客で賑わい、夜は居酒屋やバーに外国人が集い、英語が飛び交って海外旅行気分が味わえます。

最終的には久里浜港から東京湾フェリーで房総半島に渡る予定ですが、まだ時間もあることから観音崎灯台を目指します。左の房総半島を眺めながら潮の香り漂う海岸沿いのドライブの予定でしたが、雨は本降りになってきました。観音崎灯台は明治2年(1869)フランス人技師・レオンス・ヴェルニーにより建てられた我が国最初の洋式灯台です。現在の灯台は3代目にあたり白亜の八角形ののぼれる灯台16のひとつです。

雨も激しくなり一足早く房総半島に渡ることにして久里浜港に向かいます。観音崎は三浦半島の東端に位置し、対岸の房総半島とともに東京湾の入口を形作っていて眼前の浦賀水道は、わずか3.5kmの狭水道です。東京湾フェリーは神奈川の久里浜と千葉の金谷を結ぶカーフェリーで首都圏で手軽に船旅が楽しめる人気の航路です。総トン数3580tのかなや丸と今回乗船した3351tのしらはま丸が運行しています。乗船予定の15:25久里浜港発のしらはま丸には千葉県のマスコットキャラクター・チーバくんをラッピングしています。

やがてボォ~ッとという汽笛とともにエンジンの振動が高まり、ゆっくりと船が動き始めます。港を出ると視界が開け、東京湾の海原が窓いっぱいに広がります。富士山や房総半島を眺めながら、実にバラエティ豊かに大型タンカーや小さな漁船が行き来する風景は一日700隻が行き交う世界有数の港を有する東京湾の玄関口・浦賀水道を横切るだけはあります。千葉・金谷港までのわずか40分ながら旅情満点の贅沢なクルージング船を満喫して16:05金谷港到着です。

続きの「房総半島・金運を掴みに安房神社へ!灯台めぐりとあじフライも」はこちらhttps://wakuwakutrip.com/archives/5961

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