日本屈指の山岳リゾート“上高地”!神々しい自然の懐を歩く

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明治時代、世界に紹介されてその美しさが注目された上高地。自然保護の意識が根付き、自然との共生が進められてきました。そして、日本の山岳リゾートの草分けでもあります。日本アルプスの峰々、そこから流れ出す清流、可憐な草花。上高地の自然は、どんな人でもその懐にやさしく迎えてくれます。古代には神が降りたと伝えられ「神降地」の字をあてられた日本屈指の景勝地。さあ初夏の青空の下、自然が放つ若葉の瑞々しい芳香や土や苔の醸し出す匂いといったさまざまな香りを感じながら上高地を歩いてみましょう。ゆったりと深呼吸をしてみると心がリセットされる自分を感じますよ。

上高地は昭和50年(1975)にマイカー規制を実施。交通安全と自然環境保護のため、通年マイカー規制に加え、31日間のバス規制日(路線バスを除くバス)は、車両も通行が規制されています。R158をぐんぐん上り自家用車を沢渡駐車場に車を停め、路線バスかタクシーに乗り換えて上高地に入ります。今回は沢渡バスターミナルからバスで向かいます。沢渡バスターミナルには上高地について様々な展示がある。中部山岳国立公園は、北アルプス一帯を占める日本の代表的な山岳地帯です。17万haを優に超える面積は、新潟・富山・長野・岐阜の4県にまたがり、白馬岳を有する後立山連峰や、劔岳、立山連峰、槍ヶ岳を備えた穂高連峰、乗鞍岳など標高3000m級の山々が聳えています。その中にあって、屈指の景勝地として国内外の観光客から絶大な人気を誇るのが上高地です。

北アルプスは東側を通る大断層による地殻変動と、その後の激しい浸食から形成され、さらに山々に火山活動が、この地域をより複雑な地形にしたといわれています。上高地周辺の景観や形成に影響を与えた焼岳は、現在も火山活動を続ける活火山です。山岳と緑と雪と水辺という要素すべてを兼ね備える景勝地は、世界を見渡しても稀だといいます。

バスは低公害タイプの車両で、上高地までの所要時間は約30分。大正池や上高地帝国ホテルなどで途中下車も可能です。

沢渡バスターミナルを出発したバスに20分ほど揺られ、現世と上高地の境界、県道上高地公園線の釜トンネルを抜けると、一気に別世界となり、左手車窓には大正池の姿が見えてきます。大正池ルートは大正池と河童橋を結ぶ、まさに上高地のダイジェストそのもの。ほとんどが平坦な道で歩きやすいのも嬉しい。大正池バス停で降りて池のほとりの遊歩道からすぐの大正池へ。この広く美しい大正池は、大正4年(1915)の焼岳噴火で流れた泥流により、梓川が堰き止められ造られたものです。池の中で立ち枯れた木々、青く澄んだ湖面、褐色の山肌を見せる焼岳、上高地という名の聖域は、ここから始まり、スタートの大正池の畔に立ちます。穏やかな表情で穂高連峰の山々を映し出す大正池の湖底には、かつての森が沈んでいます。

この雄大な風景を感じながら気軽に歩けるコースが整備されています。おすすめは大正池と河童橋を結ぶ上高地自然研究路。標高差はわずか17mと、ほとんど平坦で歩きやすく、道標や解説版も充実しています。全長約4km、片道1時間少々の散策で、まさに上高地のダイジェストそのものです。早朝の上高地に少し強い風が吹けば、その冷たさに思わず首をすくめてしまう。それもそのはず、標高1500mのこの地で新緑が楽しめるのは5月下旬から6月末にかけてなのです。

大正池は、上流からの土砂の流入により年々小さくなってきていて、今では噴火当時の大きさの約10分の1にまで小さくなっていて、噴火時の火山灰によって立ち枯れした古木も水面に影を落としていますが、以前はもっと多くの立ち枯れ木があり、神秘的だったと記憶します。それでもこの風景の美しさは圧巻であり、この美しい佇まいを、目にしっかりと焼きつけておきたいものです。写真は大正池から10分ほどの中千丈沢の押し出しといわれる場所で、大雨のたびに中千丈沢上流から大量の土砂が流れ込む開けた河原です。ここは大きな立ち枯れの木と共に焼岳が絵になる場所です。

池の畔を伝い、木道を過ぎてカラマツや針葉樹の林を抜けると田代湿原に出ます。手つかずの原生林が生育する林は自然のサンクチュアリ、ハルニレの梢の上でセキレイがせわしく鳴き、林の奥深くからはルリビタキの声が聞こえ、その間をぬってウグイスの声が茂みにこだましています。

田代湿原は枯れた水草などが池の底に積もって少しずつ埋まり、長い年月をかけてできあがったもので「田代」とは水田のこと。水田のような湿原というわけで、周囲の伏流水でできた池もあります。背後には霞沢岳の岩峰が迫り。北には残雪の穂高連峰が横たわる。眺望の一等地ともいわれるポイントです。夏には白い穂のサギスゲの群落が広がり、秋には草や木々が黄色く染まっていきます。

大正池の上流、原生林を進むとぽっかりと開けた湿地に広がる草原の中に、目も覚めるような景色が現れます。赤く染まる浅い池に木々の緑が輝いています。六百山や霞沢岳の砂礫層からの伏流水が湧き出す田代池です。浮島のある池は、自然が創り出した庭園のように美しく、新緑と清らかな水で満たされた光景は、どこまでも明るく穏やかで、イワナなどの姿も見れます。赤色は焼岳の噴出物によるものとのこと。昭和50年(1975)の大雨で大量の土砂が流れ込み池の半分が埋まってしまったといいます。

ここから先は森林浴をしながら木道を歩く「自然探求路林間コース」と梓川と焼岳を眺めながら進む「梓川コース」に分かれますが、分かれ道での選択もまた楽しいものです。今回は花を愛でながら梓川の清流を眺められる梓川コースを選択します。

道はやがて田代橋付近で合流します。田代橋手前の交差点を右折すれば上高地帝国ホテル、橋を渡ればウエストン園地ですが、今回は直進し梓川左岸歩道で河童橋を目指します。田代橋からも梓川と穂高連峰を眺めるビュースポットのひとつです。

途中中ノ瀬園地を過ぎ、梓川沿いを歩くと、少しずつ見えてくる穂高連峰に、自然と心も踊ってしまいます。ベンチやテーブルも多く設置されていてちょっとした休憩にも清々しい気分になります。

さらに梓川沿いを上流へと辿ればいよいよハイライト・河童橋が見えてきます。梓川に架かる木の吊り橋「河童橋」は上高地のシンボル。明治43年(1910)の架橋以来、5代目のカラマツ材で作られた全長36.6mの吊り橋の上から眺める空には天をつく勢いの雄大な穂高連峰の山々、鋸歯のような威容を見せる西穂高岳に焼岳と、残雪と山肌の対比が不思議な紋様を描き、何やらパズルのようです。そして足下を流れるエメラルド色に輝く澄みきった梓川の清流は実に素晴らしく、橋の右岸側からは河原に降りることも可能です。上高地を訪れた芥川龍之介が河童橋から着想を得て昭和2年(1927)発表の小説『河童』により、観光地として注目を集めるようになったといいます。

間近に清流を見ながらベンチでのんびりできる。河童橋から明神池を目指す道は梓川を挟んで右岸と左岸の二つに分かれるので思案です。河童橋から先も森林浴をしながら林間の木道を歩く「梓川右岸歩道コース」と梓川と焼岳を眺めながら進む「梓川左岸歩道コース」があり、今回は明神池を目的地とするので森林浴をしながら六百山の岩場や焼岳など名山の姿を見ながら木道を歩く「梓川右岸歩道コース」を選択します。

明神池へと向かう木道が延びる森の中の右岸遊歩道は、前方の穂高連峰を眺めたり、せせらぎが流れる森の中を歩いたり、展望が開けたりと景色も変化に富んでいます。木漏れ日のシャワーがまぶしくまずは岳沢湿原へ。

河童橋から徒歩15分ほどのところにあるのが「岳沢湿原」です。岳沢登山口にある小さな湿原で湧き水おだやかに流れ込み、その流れの中にカワマスやマガモ、オシドリなどの姿が見られます。湿原に設えられたウッドデッキから、水の向こうに立ち枯れの木や六百山が姿を見せる景色が素晴らしい。六百山は江戸時代の杣人たちの活躍の場だったといいます。

木の階段や木道など少しアップダウンがありますが、森の中に入ったり、苔むす清流に架かる木道を渡ったりと変化に富んでいて、ハイキングの醍醐味が味わえます。沢のせせらぎを聞きながら木道を歩いていると聞こえてくる小鳥のさえずりを、楽しみながら散策します。途中、岩魚が泳ぐ清流や花々が咲く湿原の谷間を抜け、コースハイライトのひとつ明神池まで約1時間です。

明神岳の麓の林道に現れる鳥居を抜ければ、まずは「穂高神社奥宮」を参拝。周辺は聖域に迷い込んだような厳かな雰囲気が漂います。

穂高神社奥宮のご祭神は、太古奥穂高岳に天降ったと伝えられる穂高見命です。海神綿津見神の子孫で、海神の宗続として遠く北九州に栄え信濃の開発に功を樹てた安曇族の祖神として奉斎され、日本アルプスの総鎮守、海陸交通守護の神として明神池畔に鎮座します。嶺宮は奥穂高岳の頂上に祀られており、本宮は安曇野市穂高にあります。

神社の奥へ進むと、精霊に満ちた明神池が現れる。池のほとりで一休みしていると、針葉樹林が周囲を囲む聖域らしい静寂と緑が香る空間がやさしく癒してくれます。明神池は古い梓川の跡地に湧き水がたまり、そこへ明神岳から土砂が流れ出し、堰き止めてできたもので、一之池、二之池、昔はその奥に三之池があったとのこと。一之池の奥に庭園を思わせる二之池が並び、明神岳からの伏流水が常に湧き出しているため、濁ることも氷結することもない。驚くべき透明度を誇る池面に周囲の景色が映りこみ、神秘的な雰囲気を醸し出しています。パワーチャージして戻ります。

明神池そばに位置する、宿泊施設を併設した食事処「嘉門次小屋」は、英国の宣教師ウォルター・ウエストンの山岳ガイドを務めた上條嘉門次が明治13年(1880)に建てた山小屋。現在の建物は大正末期~昭和初期に建て替えられたものですが、明神明神池と梓川に囲まれ明治時代の風情を残す。囲炉裏端には、ウエストンが友情の証に残していったピッケルが今でも飾られています。

約130年の歴史を刻む囲炉裏は、情緒満点で小旅行の気分を盛り上げてくれます。看板メニューは近くの清流で養殖している新鮮なイワナを店内の囲炉裏の薪の火を強火の遠火が絶対条件でじっくり焼き上げる岩魚の塩焼き。骨も驚くほどほどに柔らかく、魚から出る余分な脂が落ち炙られ、サクッと揚げたような焼き上がりで、バリバリと香ばしい皮と柔らかな身が絶品です。屋外の席は涼しい風と小鳥のさえずりが心地よい。

明神橋を渡り復路は梓川左岸コースで小梨平を経由して河童橋まで戻ります。平成15年11月に元より数m下流に架け替えられた明神橋を渡ります。橋の上からは迫力ある明神岳を背負い、下方に梓川が流れる美しい景色を眺められる。

散策路に咲く高山植物。初夏はニリンソウの花が咲き誇る梓川左岸を通って河童橋へと向かいます。

朝焼けの宿 明神館」は食事や冷たい飲み物などをとれる休憩処。ここから徳沢まで店はないので、足を延ばすならここで休憩は必要です。お店の前には、明神岳をバックに奥宮参道の木碑が立っています。

明神館からのんびり緑に囲まれた上高地街道とも呼ばれる梓川左岸コースを歩いて河童橋を目指します。深い森の中を歩く林間の道で、道幅も広く歩きやすい。このコ-スは梓川沿いに出ると、河童橋から見る穂高の山並みとはまた違った角度で眺めることができる絶景ポイントです。

途中にあるカラマツ林の小梨平。周囲はキャンプ場になっていますが、実はこのカラマツ林は植林されたものです。江戸時代から明治にかけて、上高地の木材はことごとく伐採されました。そこで景観と防災のためにカラマツを植林したのです。晩秋の黄葉の季節にいっせいにオレンジ色に輝くカラマツは上高地に欠かせない存在です。またコナシはバラ科のズミの地方名で、キャンプ場周辺一帯のこの木が数多く植栽されていたことに由来します。昔上高地でリンゴ栽培が計画された時に、台木として人工的に植えられたものといわれます。

次回上高地散策のためにビジターセンターに寄って上高地の知識を仕入れておきます。木の質感を生かした落ち着く空間の室内には、自然を伝える山岳写真や高山植物、高山蝶などが飾られ、上高地の豊かな魅力をより知ることができます。

上高地の中心地・河童橋の目の前に「五千尺ホテル上高地」はあります。大正7年(1918)、「旅舎五千尺」という名のホテル創業以来、1世紀にわたり上高地を訪れるお客をもてなしてきました。梓川と穂高連峰の素晴らしい眺望が一度に楽しめる大自然の玄関口にあるホテルです。日帰り客に人気なのが落ち着きのある松本民芸家具を配したスイーツカフェ&バーLOUNGEでいただく季節限定のスイーツです。

北アルプスを望む絶景カフェで味わえるのは濃厚かつなめらかな口当たり、シェフが試行錯誤し求め続けたこだわりのレアチーズケーキや長年愛される五千尺伝統の信州産のりんごを使ったアップルパイなど、有名料理研究家も夢中の絶品スイーツがいただけます。飲み物は今静かなブームの飛騨和紅茶でいただきます。

河童橋から復路は梓川右岸歩道を歩きます。梓川の清流の音を聞き、焼岳を眺めながら歩く、気持ちのいい川沿いの散策コースで、梓川と風に揺れるケショウヤナギは上高地らしい光景です。

河童橋から歩く事15分ほどで梓川畔のウエストン園地。その向かいの岩に、明治時代に日本アルプスなどを世界に広め、「日本近代登山の父」といわれる英国人宣教師、ウォルター・ウエストンを称えたレリーフがあります。明治21年(1888)~28年(1895)の約7年間、宣教師として神戸に滞在しながら日本滞在中に、精力的に登山を行い、明治26年(1893)には北アルプスを単独で登ることを計画し、出会ったのが当時明神池のほとりに住みながら山岳ガイドをしていた上條嘉門次でした。その後、イギリスに一時帰国し、著書『日本アルプスの登山と探検(明治29年)』において上高地と日本アルプスを世界に広めました。計3回、のべ15年間にわたる滞在中に、数々の名峰に登頂し、大正の初め、自身にとって最後となる上高地との別れを惜しんだといい、今もこよなく愛した上高地へ温かな眼差しを向けています。

上高地温泉ホテルのあたりから見る六百山と霞沢岳の雄大な姿は絶好のビュースポットです。左に六百山、右に霞沢岳と二つの山がもっともよく見える場所で、真ん中に三本槍と八衛門沢が望めます。

この先の田代橋を渡り、県道上高地公園線のバス路線方向に歩くと、間もなく木立の中に穂高の残雪に映えるスイス・アルプス風の赤い三角屋根と丸太小屋風の創業当時から変わらない外観の「上高地帝国ホテル」が現れます。上高地を海外からの観光客を迎える国際的リゾートにしたいと考えた日本政府が、当時の帝国ホテル会長であった大倉喜七郎に建設と運営を依頼し、昭和8年(1933)に誕生したのが始まりです。上高地にリゾートの歴史を切り開いてきた日本初の本格的山岳リゾートホテルは、クラシカルな優雅さはそのまま帝国ホテルの流れを汲んでいます。ドレスコードはなく、ハイキングの格好のままで気軽に利用可能なのもリゾートホテルならでは。レストラン「アルペンローゼ」でのランチやティータイムで訪れるだけでも格式の高い雰囲気と伝統の味を気軽に楽しむことができます。

品格を感じさせるロビーラウンジ「グリンデルワルト」に据えられ巨大なマントルピースは、ホテルのシンボルでもあり、木の温もりが落ち着く空間でアフタヌーンティーを楽しむことができます。。

帰りのバスに乗車するには、河童橋近くの上高地バスターミナルまで戻れば必ず乗れますが、大正池と河童橋のほぼ中間点に立ち、帝国ホテル前バス停から乗車席に余裕があれば乗ることもできます。

日本のエコツーリズムの先駆けでもある上高地。歩いてみれば、その貴重さ、素晴らしさが理屈抜きに感じられる場所です。

 

 

 

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