美濃大垣は「奥の細道むすびの地」!水の都大垣城下町を歩く

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豊かな水に恵まれ、水を活かし、水運によって繁栄を見てきた伊吹山を仰ぐ岐阜県西部の町・大垣。松尾芭蕉の『奥の細道』のむすびの地としても知られています。古来「水の都、水都」と称されてきたのは、水門川の川湊であった経済的な恩恵にとどまらず、木曽三川の伏流水が集まる全国有数の自噴帯に位置し、「大垣八幡神社」の境内をはじめ今も町中に点在する多くの自噴井や、例年5月頃から店先でみかける、流水で冷やされた涼しげな大垣名物「水まんじゅう」など水の町としての歴史を刻み続ける大垣の表情をそこかしこで垣間見ることができるからでしょう。市街地の中心を流れる水門川沿いを、暖かな春の日差しをキラキラと反射する水面の輝きと桜の香りに導かれ、瑞々しい大垣の町歩きを楽しみます。もちろん美味しい水を使った名物も味わいます。

地図で大垣の町を見てみると、町をぐるりと囲むように川が流れていることに気付きます。大雨による揖斐川の逆流の心配から、頑丈な水門が造られ、いつの頃からか水門川と呼ばれるようになったと言われます。実はこの「水門川」は天下分け目の関ヶ原の戦いに望む西軍・石田三成が決戦直前まで詰めていた城として名高い「大垣城」の外堀であり、揖斐川を介して大垣市船町と桑名宿を行き交う船運の運河として利用されていました。現在の水門川には20あまりの橋が架けられ年春になると沿道に植えられた桜の木が川を覆い尽くすかのように咲き誇り、川面にその美しい姿を映し出す。秋の「たらい舟川下り」は大垣城落城の際、石田三成に仕えた山田去歴の娘「おあん」がたらいに乗って抜け出したという戦国秘話に基づいているらしい。「岐阜の桜33選」に選ばれている奥の細道むすびの地「水門川の船町公園」「大垣公園」を目指します。

岐阜市の中心街から車で約30分、電車だと岐阜駅から大垣駅までJR東海道本線で10分程、水の都・大垣の町を散策することにした。市街地を流れる水門川に沿って大垣駅東の愛宕神社から奥の細道むすびの地・船町港跡までの2.2kmの遊歩道「四季の路」が『奥の細道』の旅で芭蕉が詠んだ22の句碑が立てられた「ミニ奥の細道」として整備され、芭蕉の足跡をたどりながら四季折々の草木緑あふれる川沿いをのんびり散策できます。岐阜町道標が移設された愛宕神社からスタートします。この道標は高さ3m余の角柱状の常夜灯で、文政5年(1822)、石工の中谷甚平光景が岐阜町から美濃路への南の出口に建立したものです。

水門川に沿って歩きます。平和橋の袂にあるのが、堀抜井戸発祥の地。天明2年(1782)岐阜町」のこんにゃく屋文七が、川端に2m程の穴を掘りそこに5mの木材を打ち込み、その後へ節を抜いた青竹を力いっぱい打込んだところ、その竹の先端からきれいな水が噴出したという井戸です。

平和橋を渡りさらに南に歩き、栗屋公園の湧水を右手にみながら進むと、その先に貴船神社が鎮座する貴船広場に出ます。三重の堀に囲まれた大垣城の総堀内には、古来からの町屋である本町、中町、魚屋町、竹島町、俵町を縫うように美濃路が通っていました。この辺りは大垣城東総門跡(名古屋口門跡)があり、江戸時代に美濃路の東の要として名古屋方面からの敵の備えた城の防衛拠点でした。

貴船広場を右折してしばらく直進すると八幡神社「大垣の湧水」に着く。八幡神社は、中世には大井荘と呼ばれた東大寺領であったため東大寺の鎮守を勧請して建てられました。戸田左門氏鉄が再建整備した折、町民が喜び山車を造って曳いたのが5月の大垣まつりの山車の起源です。「大垣の湧水」は、一の鳥居をくぐるとすぐ右の境内の一角の地下150mから湧き出る自噴井で、絶えることなくこんこんと水が湧き出しています。備え付けの柄杓ですくって飲むと、冷たくまろやかな水が喉を滑り落ち、一気に汗が引きます。

ここを水門川沿いに左折し、進むと大垣藩十万石の歴代藩主が眠る戸田家廟所、旭光山 円通寺があります。膳所藩主であった戸田氏鉄が慶長6年(1601)近江膳所ヶ崎で創建し、その後尼崎を経て寛永12年(1635)大垣藩へ転封になった際、現在地に創建されました。以降戸田氏の菩提寺となっています。山門は木造瓦葺で、天保年間(1830~44)に再建され、大垣藩十万石歴代藩主の菩提寺の山門にふさわしい豪壮な姿を今に伝えています。

昭和38年(1963)東京の蓮光寺にあった9代氏正、11代氏共公の墓を移すことになり、翌年4月戸田家11代歴代藩主の墓が揃い完成しました。写真奥、石柱に囲われた墓が初代氏鉄公の墓

大垣城は、南と東を大手、北と西を搦手とする要害堅固な城郭であり、総郭には、東口大手・南口大手・柳口・竹橋口・清水口・辰之口・小橋口の七つの門がありました。現在大垣市役所がある竹橋から俵橋にかけては、大垣城七口之門の一つ竹橋口門跡で大垣城の南西にあり、侍屋敷の八幡曲輪に通じていました。このあたりには大垣で有名なお店があります。大垣には枡の生産量全国一の大橋量器があり、その直営店が、枡工房「ますや」です。檜の香り漂う店内には工夫を凝らしたアイデア商品がずらり並んでいて確か「合格し枡」という五角形の枡があったと記憶する。そしてその枡にレアチーズを入れた「花よりダンジュ」を販売しているチーズケーキ専門店「チーズケーキプリンセス」も水門川のほとりに佇んでいます。

その目と鼻の先が、水門川に整備された水と緑の都市公園四季の広場」がある。小さな滝が川へ注ぎ、何とも涼しげで、美登鯉橋付近には鯉が優雅に泳いでいます。平成28年公開アニメ映画『聲の形』の舞台にもなった滝のように水が流れているトンネルや虹の橋が見所です。

石堤に縁取られる緩やかな川の流れは風情を増し、四季の広場で折れ曲がった川筋に先に架かる貝殻橋辺りが大垣城西総門跡(京口門)。三重の堀に囲まれた大垣城の総堀内には、古来からの町屋である本町、中町、魚屋町、竹島町、俵町を縫うように美濃路が通っていました。西方に位置する西総門は、京都方面にあることから京口門とも呼ばれ、総堀に橋を架けることによって、有事の際に外部との交通を断絶するなどの防御が図られていました。

船町川湊の道標は、高さ約2mの円柱で、文政年間(1818~1830)に大垣城下京口御門(西総門)の南、美濃路沿いに建立されていました。旅人の道案内のため、標面には「左 江戸道」・「右 京みち」と記され、またその上部には梵字が刻まれています。

さらに少し進むと大垣を代表するビューポイントのひとつ、「奥の細道むすびの地」船町港跡の住吉燈台に到着です。

川沿いにいきいきと枝を伸ばす木々や季節の花々によって彩られるこの場所は、大垣と桑名を水運で結んだかつての川湊です。江戸時代、河川を利用した物資や文化が行き交う拠点だった場所で、天保11年(1840) に建てられ明治時代に建て替えられた由緒ある住吉燈台と周囲に咲き誇る桜並木の雅で華やかな美しさが往時の繁栄を偲ばせています。木造の住吉燈台と橋の欄干の朱が影を落とす水面に和船が浮かぶ姿は一枚の絵のような風景を織り成す。2022年放送テレビ東京木ドラ24『自転車屋さんの高橋くん』のロケ地

寒さも緩み桜が水門川を彩るこの季節、表情豊かな川沿いの風景を楽しむ「水の都おおがき舟下り」が期間限定で行われます。大垣公園近くの高砂町の乗船場から住吉燈台の下船場まで約1kmを咲き誇る桜を見上げながら、緩やかな川の流れと同調するかのような小舟に揺られるひととき時が味わえます。まるで大垣の歴史の懐に抱かれたような、雅な春の思いでをつくってくれます。

川の畔に大垣から旅立つ松尾芭蕉とそれを見送る大垣の門人、谷木因の銅像が佇んでいます。谷木因は俳人・北村季吟の門弟として芭蕉とともに学んだ俳友で、大垣で船問屋を営んでいました。江戸廻船の大船を2隻、川舟を7隻も所有する大店で、引退後は和歌や俳諧の道と後進の指導に専念しました。『野ざらし紀行』の最初の大垣訪問は木因の招きによるもので、その後、三重の桑名まで同行。『奥の細道』の旅でも自宅に招き、引き続き伊勢参りに向かう芭蕉を自分の船で送っています。奥の細道みすびの地記念館が建っている場所が谷木因の邸宅の跡地とのこと。芭蕉を迎えるために木因が作らせて自宅の前に建てたものが、“南いせ くわなへ十り ざいがうみち(南伊勢 桑名へ十里 在郷道)”標識ですが、俳句になっています。

元禄2年(1689)秋、芭蕉はここで約5ヶ月の俳諧紀行「奥の細道」の旅を終え、その折蛤の ふたみに別 行秋そ」と詠んで、俳友・谷木因らに見送られながら水門川の船町港から伊勢神宮の遷宮参拝のため桑名へ舟で旅立ったのです。水門川沿いには芭蕉の句碑が点在し、思わず一句詠みたくなります。

「奥の細道むすびの地記念館」が立つその隣の敷地に2024年春、新たな憩いの場「船町ベース」ができました。「半建築(使う人が自由にアレンジする余地を残す)」を提唱する清澄白河のブルーボトルコーヒーを設計した長坂 常氏の設計。一度は閉店した江戸末期開業の名店「金蝶堂総本店」が船町ベース内で「シン・金蝶堂」として復活。あっさりした甘さの餡がぷるぷるの葛に包まれた豊かな地下水が生んだ大垣名物「水まんじゅう」も楽しめ、散歩の途中で一服できます。

隣接して大垣藩主戸田氏鉄の室、大誓院(徳川家康の姪)が叔父の戸田甚五郎の菩提を弔うために建立した桃源山 全昌寺があります。家老戸田家の菩提寺で、境内地には大垣藩城代(藩老)小原鉄心の別邸無何有荘大醒榭が移設されていました。当寺25世鴻 雪爪は鉄心と交遊し、勤王の大義を全うせしめました。鉄心はここで木戸孝允等と明治維新の事業画策等を行ったとのこと。

大垣城外堀(水門川)めぐり(ミニ奥の細道)も終わり駅方面に戻る途中、大垣公園近くにある名物「にしんそば」の「そば処 酒井亭」に立ち寄る。昭和10年(1935)創業の老舗で、関西では馴染みのある「にしんそば」を東海地区では馴染みの薄いこの地方で昭和28年最初に売りだしたのが京都で修行中に覚えた初代のご主人だったそうです。

北海道から仕入れた鰊を大垣の澄んだ水に2日間さらし、渋みがやわらぐよう番茶で洗います。にしんを漬け込むタレは継ぎ足し継ぎ足しし、秘伝の出汁で煮ては冷ますことを3日間繰り返して作る鰊の甘露煮は骨まで美味しく、甘辛いにしんと蕎麦の相性がよい。

大垣公園内にある大垣城にも立ち寄ります。戸田家大垣藩十万石の居城である「大垣城」は四層四階の優美な天守は旧国宝であったが戦災で焼失、昭和34年に再建され、戸田家十一代、明治の版籍奉還まで約230年におよぶ治世の礎を築いた「戸田氏鉄公騎馬像」の背景に桜とともに映えています。「決戦前夜の西軍本陣であり籠城戦の舞台!西美濃の要衝・大垣城」はこちらhttps://wakuwakutrip.com/archives/19066

もう一度名水を飲みたく、酒井亭で出された水が、駅前通りにある湧水、大手いこ井の泉で汲んできたものということで、立ち寄ります。大垣城大手門にちなみ「大手」と命名。自噴水と約10mのせせらぎがあり、水温14度ほどの湧水が地下138mからこんこんと湧いています。

東へ歩くと南北に通る美濃路に出ますが、その手前が大垣城大手門跡です。東口大手門は大垣城の正門であり、七口之門の一つ。はじめに高麗門と呼ばれる外側の門をくぐると、内側には第二の門である櫓門につきあたる、二重に城門を配置した枡形形式の堅固な門でした。明治4年(1871)大手門を取り壊したおりに廣峰神社を移建したため、大手門北部の原型をよくとどめ、境内東側の石垣は往時のままです。

関ヶ原合戦で勝利を収めた徳川家康は、江戸に幕府を開くと五街道の整備を行いました。美濃路は、中山道と東海道を結び、垂井から大垣の城下町を抜けて墨俣から尾張へと入り、熱田の宮の宿で東海道に通じていました。江戸時代には、朝鮮通信使やお茶壷道中等もこの街道を通るなど重要な道でした。写真は美濃路沿い本町に、風格のある店を構える幕末安政6年(1859)創業のみそ入り大垣せんべいの老舗、田中屋せんべい総本家です。

駅前でお土産に水が生んだ大垣銘菓・金蝶園総本家本店で「水まんじゅう」を購入することに。創業は寛政10年(1798)で、幕末に2代目が作り始めた伝統製法による酒饅頭の金蝶園饅頭が店名の由来。あっさりとした甘さの餡がぷるぷるの葛に包まれた銘菓で、おちょこに入った水まんじゅうが流水に底に沈んでいる様子は町の夏の風物詩です。

 

 

 

 

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