紫陽花に埋もれるお地蔵さんが!万葉の里の古刹・矢田寺へ

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「NIKKEIプラス1」アジサイ名所ランキング(2005年5月28日)の西日本で1位神戸市立森林植物園、3位が先週参詣した宇治の三室戸寺、2位の奈良の矢田寺がまだ見頃とのことで出かけます。慈悲深い菩薩様の中でも、とりわけやさしげで身近な存在なのが「お地蔵さん」。その丸い笑顔のイメージにどんな花よりも似合うのがアジサイです。お地蔵さん発祥の古刹、万葉の里「矢田寺」では、約1万株のアジサイに埋もれるようにお地蔵さんが寄り添います。訪ねてみたい関西のアジサイ名所の上位にランクされる矢田寺でほのぼの気分に浸ってみます。

矢田寺」は正しくは矢田山・金剛山寺と号し、矢田丘陵の中央、矢田山の中腹に位置する高野山真言宗のお寺で、我が国の地蔵信仰発祥の霊場の一つです。約1300年前、大海人皇子が矢田山に登って壬申の乱の戦勝を祈願したところ戦いに勝利し、飛鳥時代末の天武2年(673)に天武天皇の勅願により智通僧正が七堂伽藍四十八ヶ坊を造営、天皇の守り本尊といわれる十一面観世音菩薩と吉祥天が安置されました。その後、平安時代初めの弘仁年間に満米上人と閻魔大王の裁きを補佐していたという参議小野篁により地蔵菩薩が安置されて以来、地蔵信仰の中心地となり「矢田のお地蔵さん」と親しまれています。このお地蔵様に因み植えられた約60種、1万株のアジサイはこの時期境内一帯に咲きそろい「あじさい寺」とも呼ばれているのです。あじさいの丸い花はお地蔵様の手に持っておられる宝珠の形でもあるとのこと。

お地蔵さんと聞いて思い浮かべるのは路傍の石仏でほかの菩薩様より身近な存在です。地蔵菩薩とは、お釈迦様の入滅後、常にそばにいて六道輪廻をさまよう私たちを導いてくれる存在です。きらびやかな寺院に阿弥陀仏を祀れない庶民は地蔵菩薩にすがり、子どもを守る存在として大切にしてきました。現在の本堂は江戸初期の建造で矢田寺には2体の木造地蔵尊が祀られていますが、ほかにも数々のお地蔵さんに出会えます。通常と違って右手に杖を持たず、阿弥陀仏のように印を結んでおり、「矢田型地蔵」と呼んでいます。

あじさいはアジサイ科の植物で日本の暖地に自生するガクアジサイを母親として日本で生まれた園芸品種とのこと。学名の「オタクサ」は江戸後期に日本の動植物をヨーロッパに紹介したオランダ商館の医官シーボルトが帰国後、日本滞在中の妻「お滝さん」を偲んでつけた名前と言われているらしい。

本堂前にあじさい園があります。昭和40年(1965)ごろから、山腹に大きく広がる境内に、日本庭園の研究家として知られる森蘊氏の流れをくむ造園家が、京風の回遊式あじさい園を手掛け整備し始めたのですが、これが今や約一万株が咲きこぼれるまでにあじさいの森と化しています。竹や石を巧に配した園は、川のせせらぎを石伝いに散策するなど、ちょっとした山歩き気分を楽しめます。花のテラスからは園の大半を一望できます。

お地蔵さんの間からひしめきあうように咲いているあじさいもまた風情があってよい。あじさい園の参道は細く人がすれ違うのがやっとなのだが、両側から様々な色彩の花が咲いていて迫ってくる感覚になり、控えめなあじさいの花もなかなかの迫力である。あじさいの色は土の土壌によって色が違い 酸性だと青色、アルカリ性だと赤色になるらしい。とにかくお寺と雨に最も似合うのがあじさいであろう。

アジサイの青や紫とお地蔵さまの赤い前掛けがなんともカラフルで、華やかさを感じさせられる。特に注目したいのは小さなお地蔵さまたちが、背後から咲き乱れるアジサイにほとんど呑みこまれた状態になっています。矢田寺の境内にアジサイがいかにたくさん植えられているかがわかるようなものである。石仏とアジサイのコラボがいたるところで見られるます。

境内には石仏が多く点在しているが、その代表格が、自家製の味噌を口元に塗ると味がよくなるという鎌倉時代後期の作と伝わる「味噌なめ地蔵」です。名前の由来は、昔、近くに住む味噌の味が悪くなったことを気にやんでいた女性の夢枕にお地蔵様が立ち、自分にその味噌を食べさせてくれたら、味噌の味を良いものにしてやろうと告げました。翌朝、女性が矢田寺へ参詣すると、夢枕に立ったお地蔵様がいたため、自分の味噌をその口許にぬったところ、味噌の味が良くなったとの伝承からです。優しいお顔が、背景の丸く、かわいらしいあじさいの花と絶妙に似合っているように感じます。

アジサイに彩られたお地蔵さんは、いつにもまして身近でやさしいお顔、お姿に感じられます。

 

 

 

 

 

 

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